壱岐の寺院・5

 
 
神岳山金蔵寺住職香椎総寺氏から、霊場順拝のパンフレットの転
載の許諾を受けました。
(03.7.20)
 
なお、このパンフレット霊場の位置を示した地図付き)は、金蔵寺
で分けてもらえます。


  壱岐島四国八十八カ所霊場順拝

霊場遍路のはじまり
 この壱岐島の四国八十八カ所霊場は、一人の熱心な信者とその協力者た
ちによって開かれた。
 山口県熊毛郡麻郷村(現在は田布施町麻郷)の人で、弘法大師信仰の行
者、中原慈本師が明治二十四年の春壱岐を訪れたところ、「昔この島にあ
った神岳山本宮寺が廃仏毀釈のとき廃寺となっている。この神岳山を復興
し、それと同時に壱岐島四国八十八カ所霊場を開創してほしい」という夢
を見たのであった。
 慈本行者は大いに発奮して、昔本宮寺があった壱岐郡勝本町新城西に草
庵を結んで住み、島内の熱心な弘法大師信者十三名の協力を得て、活動を
開始した。
 まず、島内のお寺を説いて札所にし、お寺のないところには新しく浄地
を選んで堂や庵を建立し、次々に札所を造っていって、二カ年あまりの後
には札所としたお寺十九カ寺、新築した堂庵六十九カ所、合わせて八十八
カ所が全部そろったのであった。
 そのあとは同志とともに順拝をつづける一方、島内の一般の人たちにも
熱心に順拝を呼びかけた。
 霊場順拝がしだいに根づきはじめた明治二十六年、旧暦の七月一日のこ
と。慈本行者はこの日も順拝の途中、芦辺で急病にかかり、森島家で急死
してしまった。
 一緒に霊場開創に力を尽した人達が集まって、行者が亡くなったところ
(現在の芦辺町箱崎本村触柏崎)に慈本堂を建立して霊をまつる一方、行
者の草庵があった本宮寺跡には本宮寺の末寺であった金蔵寺を移転して神
岳山金蔵寺とし、行者が念願していた「神岳山」を復興したのであった。
 いま一番札所になっている金蔵寺の本堂から大師堂へのぼる参道の途中
に、慈本行者の等身大の石像がたっている。

今の遍路みち
 行者とともに霊場開創に努力した十三名の遺族のほか関係者約百名で壱
岐四国霊場の護持を目的に「壱岐信者講」(事務局は金蔵寺)が結成され
ており、年に三回総会を開くほか、霊場順拝のため島外から訪れるお遍路
さんの世話をつづけている。
 壱岐島へは、長崎空港から壱岐空港まで空の便があり、約三十分である。
船だと、福岡からは高速船で約一時間十分、フェリーは二時間半、呼子か
らだと一時間十分で壱岐に着く。島内には、バス・タクシー会社が七社あ
る。
 なお、壱岐四国遍路は、全部歩いてまわると大体一週間、島内には舗装
した道路が多いので、車の場合は三、四日で全部まわれるだろう。

 霊場を紹介しよう。(一番は島の北部、勝本である。船で南部の郷ノ浦
港へ着いた場合はバスで勝本町へ。)所属宗派を記していない札所は堂か
庵で無住である。また、八十八霊場のご詠歌は本四国と同じである。

第一番 神岳山 金蔵寺【真言宗】(本尊・釈迦如来)
    
壱岐郡勝本町新城西触 ▽蒲田バス停〜壱岐商高の中間点
 
金蔵寺は廃寺となった神岳山本宮寺の末寺であったが、本宮寺の跡に移
って本宮寺を引き継いだ。
 境内の前方は広々とした田んぼ。本堂の左手の参道をあがると大師堂、
その裏手に奥の院がある。参道のかたわらに、八十八霊場の創始者、中
原慈本行者の等身大の石像がたっている。
 寺宝に銅造如来型座像、銅造梵鐘、銅造鰐口があり、三点とも長崎県
指定の有形文化財である。

第二番 ムルの堂(本尊・阿弥陀如来)
   
 勝本町新城西 ▽一番から概算五百b。

第三番 岩熊堂(本尊・地蔵菩薩)
    勝本町新城西 ▽二番から五百b

第四番 寺原田堂(本尊・地蔵菩薩)
    勝本町新城東 ▽三番から一キロ。

第五番 東光寺【臨済宗】(本尊・阿弥陀如来)
    
勝本町仲触 ▽四番から概算二キロ。
 
立派な山門をくぐると正面に本堂があり、その前に大師堂がある。

第六番 高尾堂(本尊・薬師如来)
    勝本町東触 ▽五番から一キロ余。

 六番までで勝本町は一応おわり。七番からは芦辺町となる。

第七番 甚願田堂(本尊・弘法大師)
    
芦辺町江角触 ▽六番から四キロ。

番外  慈本堂(中原慈本師をまつる)
    芦辺町箱崎本村触柏崎 ▽七番から一キロ余。

 近くに男岳神社があり、境内の石猿群は有名である。家運の繁栄を
願って奉納されたのだが、心ない観光客などが持ち帰って不幸続きの
ため返しにきたという例もあるという。

第八番 長尾堂(本尊・千手観世音)
    
芦辺町大左右触 ▽慈本堂から一`。

第九番 阿弥陀堂(本尊・阿弥陀如来)
    
芦辺町瀬戸浦 ▽八番から三`。

 
近くに少弐資時の墓がある。弘安四年(一二八一)四万の蒙古軍は対
馬を襲い、次いで壱岐に攻め込んできた。弱冠二十歳の壱岐の守護代、
少弐資時は奮戦したが及ばず討死したのであった。この辺りは弘安の役
の古戦場である。

第十番 向町堂(本尊・千手観世音)
    
芦辺町瀬戸浦 ▽九番から三百b。

第十一番 長徳寺【曹洞宗】(本尊・薬師如来)
     
芦辺町中山触 ▽十番から六百b。
 
本堂に本尊とともに安置されている阿弥陀如来立像は、廃寺となった暦
応寺の本尊であった。藤原期に制作された檜材寄木造りで、高さ九十八a
余り。長崎県は有形文化財に指定している。

第十二番 中尾堂(本尊・阿弥陀如来)
    
 芦辺町谷江触 ▽十一番から四・五`。

第十三番 倉元堂(本尊・十一面観世音)
     
芦辺町谷江触 ▽十二番から六百b。

第十四番 円福寺(本尊・釈迦如来)
     芦辺町当田触 ▽十三番から一`。

第十五番 大石堂(本尊・薬師如来)
     芦辺町大石触 ▽十四番から二・五`。

第十六番 天徳寺【曹洞宗】(本尊・千手観世音)
     
芦辺町芦辺浦 ▽十五番から三百b。
 石段を上がると鐘楼門があり、正面に堂々たる本堂がある。

第十七番 阿弥陀堂(本尊・阿弥陀如来)
第十八番 釈迦堂(本尊・釈迦如来)
     
芦辺町芦辺浦 ▽十六番から三百b。

 十七番と十八番は旧種徳院の境内にある。隣に芦辺町役場がある。

第十九番 天神川堂(本尊。地蔵菩薩)
     芦辺町芦辺浦 ▽十八番からすぐ。

第二十番 樋川堂(本尊・地蔵菩薩)
     芦辺町芦辺浦 ▽十九番からすぐ。

第二十一番 長瀬堂(本尊・十一面観世音)
      
芦辺町諸吉 ▽二十番から三キロ。

 
二十番からの途中の海岸は清石浜海水浴場である。波のうねりが大き
いので、サーフィンに最適という若者好みの海水浴場である。

第二十二番 小坂堂(本尊・薬師如来)
      
芦辺町諸吉 ▽二十一番からすぐ。

第二十三番 棚江堂(本尊・不動明王)
      
芦辺町諸吉 ▽二十二番からすぐ。

第二十四番 竜泉寺【曹洞宗】(本尊・観音菩薩)
      芦辺町八幡浦 ▽二十三番から三キロ。
 立派な本堂に本尊が安置してある。

 岬の北の突端左京鼻はなだらかなスロープ、玄界灘に面して雄大な海
食崖が延々一`にも及び、みごとな風景である。南の海岸には腹ほげ地
蔵がある。浪打ちぎわにまつられた石の地蔵さん六体は言い合わせたよ
うにお腹に丸い穴があいており、「腹ほげ」と呼ばれている。

第二十五番 八幡堂(本尊・地蔵菩薩)
      芦辺町八幡浦 ▽二十四番から三百b。

第二十六番 スゲ大師堂(本尊・地蔵菩薩)
      芦辺町諸吉 ▽二十五番から五`。

第二十七番 塔の辻堂(本尊・十一面観世音)
      芦辺町諸吉 ▽二十六番から三百b。

 
(二十八番は道順の関係で五十三番の次ぎにまわす。)

第二十九番 中尾堂(本尊・千手観世音)
      
芦辺町深江触 ▽二十七番から三・五`。

第三十番 安国寺【臨済宗】(本尊・地蔵菩薩)
   
  芦辺町深江触 ▽二十九番から約一`。

 暦応二年(1339)北朝より征夷大将軍に任ぜられた足利尊氏は夢窓国師
の勧めで、戦没将兵の追福のため国ごとに安国寺を建立した。この安国寺
は壱岐国の安国寺で、開山は法雲普済禅師である。
 現在の仏殿と山門は安永八年(一七七九)の再建で、昔の風格をとどめ
ている。長崎県は建物その他をまとめて史跡に指定している。

第三十一番 平堂(本尊・文殊菩薩)
      
芦辺町深江触 ▽三十番から約一`。

 
芦辺町の区域は三十一番で一応終り。三十二番からは石田町。

第三十二番 袖の堂(本尊・十一面観世音)
      石田町筒城触 ▽三十一番から約一`。

 石田町は島の南東部で、昔国府のあったところ。空の玄関壱岐空港はこ
の町にある。

第三十三番 向長堂(本尊・薬師如来)
      石田町筒城触。 ▽三十二番より約一`。

第三十四番 山の坊堂(本尊・観音菩薩)
      
石田町筒城触 ▽三十三番から三百b。

第三十五番 地蔵堂(本尊・地蔵菩薩)
      石田町山崎触 ▽三十四番から一・五`。

第三十六番 後藤堂(本尊・不動明王)
      
石田町筒城触 ▽三十五番から四百b。

第三十七番 清水堂(本尊・大日如来)
      石田町筒城触 ▽三十六番から四百b。

第三十八番 先辺堂(本尊・千手観世音)
      
石田町筒城触 ▽三十七番から一`。

第三十九番 山根堂(本尊・観世音菩薩)
      石田町筒城触 ▽三十八番から一・五`。

第四十番 堤堂(本尊・薬師如来)
     石田町筒城触 ▽三十九番から半`。

第四十一番 谷頭堂(本尊・十一面観世音)
      
石田町筒城触 ▽四十番から四百b。

第四十二番 たいわん堂(本尊・十一面観世音)
      石田町筒城触 ▽四十一番から四百b。

第四十三番 観音堂(本尊・十一面観世音)
      石田町石田触 ▽四十二番から五百b。

第四十四番 鬼ガ原堂(本尊・十一面観世音)
      石田町石田触 ▽四十三番から一・五`。

第四十五番 岩谷堂(本尊・不動明王)
      石田町印通寺浦 ▽四十四番から三百b。

第四十六番 古見堂(本尊・地蔵菩薩)
      石田町石田触 ▽四十五番から一・二`。

第四十七番 古ヤ堂(本尊・阿弥陀如来)
      石田町石田触 ▽四十六番から一`。

第四十八番 寿慶院【臨済宗】(本尊・地蔵菩薩)
      石田町石田触 ▽四十七番から三百b。
 境内正面に大きい本堂があり、右手に庫裏がある。

第四十九番 竜峰院【臨済宗】(本尊・阿弥陀如来)
      
石田町印通寺浦 ▽四十八番から二・五`。
 このお寺も山門をくぐった正面にどっしりした本堂があり、本尊がお
まつりしてある。

第五十番 サイマ堂(本尊・薬師如来)
     石田町印通寺浦 ▽四十九番から三百b。

第五十一番 伝記寺【臨済宗】(本尊・地蔵菩薩)
      石田町池田触 ▽五十番から四百b。
 このお寺の本堂その他の建物はしっかりしている。裏山に椿園がある。

第五十二番 石田峰堂(本尊・十一面観世音)
      石田町池田触 ▽五十一番から三百b。

第五十三番 アゼクリ堂(本尊・阿弥陀如来)
      石田町池田触 ▽五十二番から三百b。

第二十八番 春の舎堂(本尊・大日如来)
      石田町池田触 ▽五十三番から三百b。
 (あとまわしになっていた二十八番の春の舎堂を、五十三番の次ぎに
する。)

第五十四番 真引堂(本尊・地蔵菩薩)
      
石田町池田触 ▽二十八番から四百b。

第五十五番 薬師堂(本尊・薬師如来)
      
石田町池田触 ▽五十四番から三百b。

 
五十五番で石田町の区域は終り、次ぎは郷ノ浦町に入る。

第五十六番 若松堂(本尊・地蔵菩薩)
      郷ノ浦町若松触 ▽五十五番から六`。

 郷ノ浦町は島の南西部を占め、海の玄関口である。壱岐支庁の所在地
で、島の行政、文化の中心。

第五十七番 薬師堂(本尊・薬師如来)
       郷ノ浦町初山西触 ▽五十六番から三キロ。

第五十八番 南明寺【曹洞宗】(本尊・地蔵菩薩)
      郷ノ浦町初山西触 ▽五十七番から三百b。
 老人憩いの家の横手にある参道を上がると、どっしりした本堂などが
ある。

第五十九番 法輪寺【曹洞宗】(本尊、地蔵菩薩)
      郷ノ浦町坪触 ▽五十八番より三キロ。
 
参道の石段を上がると、正面に本堂、庫裏などがある。

第六十番 南切堂(本尊・薬師如来)
    
 郷ノ浦町片原触 ▽五十九番から六`。

六十一番 金比羅堂(本尊・観世音菩薩)
     郷ノ浦町迎町 ▽六十番から五百b。

第六十二番 専念寺【浄土宗】(本尊・阿弥陀如来)
      郷ノ浦町郷ノ浦 ▽六十一番から四百b。
 
小高い丘の上。広々とした境内にどっしりした本堂が建っている。

第六十三番 本居堂(本尊・観世音菩薩)
      郷ノ浦町本居 ▽六十二番から五百b。

第六十四番 華光寺【曹洞宗】(本尊・釈迦如来)
      郷ノ浦町東触 ▽六十三番から六`。
 小高いところに、立派な本堂、庫裏が建っている。

第六十五番 長栄寺【曹洞宗】(本尊・願王尊)
      郷ノ浦町庄触 ▽六十四番から四`。
 
本尊は聞きなれぬ仏さまだが、地蔵菩薩に似ている願王菩薩である。
 境内に古めかしい五輪石塔が十三基ずらりと並んでいる。南北朝時代
に近くの白石城を根拠としていた呼子氏、牧山氏にゆかりのあるものだ
ろうといわれており、郷ノ浦町は有形文化財に指定している。

第六十六番 西原堂(本尊・地蔵菩薩)
      郷ノ浦町麦谷触 ▽六十五番から五`。

第六十七番 渡良堂(本尊・地蔵菩薩)
      郷ノ浦町渡良浦 ▽六十六番から三百b。

第六十八番 神田堂(本尊・十一面観世音)
      郷ノ浦町神田触 ▽六十七番から四百b。

第六十九番 物部堂(本尊・文殊菩薩)
      郷ノ浦町物部触 ▽六十八番から十キロ。
 
堂ではあるが、どっしりした大きな建物である。

第七十番 薬師堂(本尊・薬師如来)
     郷ノ浦町物部触 ▽六十九番から五百b。

 
七十番で郷ノ浦町の区域は一応終り。七十一番から再び芦辺町に入る。

第七十一番 定光寺【臨済宗】(本尊・釈迦如来)
      芦辺町湯岳本村触 ▽七十番から三・五`。
 本尊の釈迦如来座像は鎌倉末期の作で、寄木造り、高さ九十六・四aの
立派なもの。芦辺町は文化財に指定している。

第七十二番 鯨石堂(本尊・大日如来)
     
 芦辺町深江触 ▽七十一番から三キロ。

第七十三番 若宮堂(本尊・釈迦如来)
      芦辺町中野郷 ▽七十二番から五`。

第七十四番 白川堂(本尊・不動明王)
      
芦辺町中野郷 ▽七十三番から三キロ。

第七十五番 国分寺【臨済宗】(本尊・薬師如来)
      芦辺町中野郷 ▽七十四番から五百b。
 
天平十三年(七四一)聖武天皇は国家鎮護を祈って国ごとに国分寺を建
立した。壱岐国分寺として建てられたのが、この寺である。
 本堂には本尊のほかに弘法大師像が安置されているが、この像は六十年
目ごとに一回だけ開扉される秘仏で、像の下部に大永八年(一五二八)の
と記されている。檜材の寄木造りで高さは三十七・九aあり、芦辺町は文
化財に指定している。
 北西約一`の所に、鬼の岩屋≠ェある。豪族の墳墓と見られる壱岐最
大の古墳である。


第七十六番 椿原堂(本尊・子安観世音)
      芦辺町住吉触 ▽七十五番から三キロ。

七十六番で芦辺町の区域は終り、次の三カ所は再び郷ノ浦町である。

第七十七番 高源院【曹洞宗】(本尊・釈迦如来)
      郷ノ浦町小牧触 ▽七十六番から八`。

第七十八番 徳命堂(本尊・弘法大師)
      郷ノ浦町里触 ▽七十七番から三百b。

第七十九番 釈迦堂(本尊・釈迦如来)
      郷ノ浦町黒崎触 ▽七十八番から七百b。

 次ぎの札所から満願の八十八番までは再び勝本町である。
 (八十一番は八十番への途中なので先におまいりする。)

第八十一番 井田堂(本尊・弘法大師)
      勝本町本宮仲触 ▽七十九番から約9`。

第八十番 仙南寺【真言宗】(本尊・千手観世音)
      勝本町坂本触 ▽八十一番から五`。
 道路に面して仙南寺がある。一見民家風で親しみやすいお寺である。

第八十二番 地蔵堂(本尊・地蔵菩薩)
      
勝本町大久保触 ▽八十番から五百b。

第八十三番 地命堂(本尊・地蔵菩薩)
      
勝本町勝本浦 ▽八十二番から四キロ。
 勝本浦では毎朝籠に一杯の海の幸、山の幸をおばさんたちが売りに出
て、朝市が立つ。江戸時代の物々交換の名残といわれている。

第八十四番 弥勒堂(本尊・弥勒菩薩)
      勝本町勝本浦 ▽八十三番から三百b。

第八十五番 川上堂(本尊・観世音菩薩)
      
勝本町勝本浦 ▽八十四番から七百b。

第八十六番 弥陀堂(本尊・阿弥陀如来)
      勝本町勝本浦 ▽八十五番から九百b。

 勝本港外に浮かぶ辰ノ島は、イルカの捕獲で注目を浴びたところであ
る。捕らえたイルカを蓄養する施設ができており、去る五十三年にでき
た「イルカの慰霊碑」などもある。また海食作用によってできた高さ五
十bの断崖蛇ガ谷≠竅A白砂の海水浴場などがある。

第八十七番 平大師堂(本尊・観世音菩薩)
      勝本町坂本触 ▽八十六番から三百b。

 近くに豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に築いた勝本城址(国指定の史跡)が
ある。城址の一角に、芭蕉の高弟河合曾良の句碑「春にわれ乞食やめて
も筑紫かな」が建っている。曾良は宝永七年(一七一〇)この地で死去、
その墓も近くにある。

第八十八番 能満寺【真言宗】(本尊・虚空蔵菩薩)
      勝本町坂本触 ▽八十七番から七百b。
 勝本港を見下ろす高台に、満願札所にふさわしくどっしりした本堂、
庫裏などが建っている。本堂の左手には鉄筋三階建ての堂々たる位牌堂
がある。
 八十八番から振出しの一番・金蔵寺までは三キロ。


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