壱岐の一般的宗教生活(神仏混交)


 地域の神社の氏子、先祖の位牌を托している寺の檀徒と
いう神仏混交の生活をしているのが、壱岐では一般的です。



 
地域の主要な神社を郷社として祭り,その下に末社(まっしゃ)とし
て境外社などが数社から十数社がありますが、中に,山・川・水・田な
ど自然崇拝のものが多く含まれており、地域住民が氏子として支えてい
ます。地域に住居のある者は、誰でも氏子なれるということは,
神道の
開放性・おおらかさ
を示しています。

 氏子の代表が総代となり、合議制の総代会が宮司と共に、神社の運営
に当たっています。
 氏子は、例祭の時、神輿を担いだり、幡を持ったりする
社役交代で
務めます。
祭典費の負担がありますが、数千円程度だと思います。これ
には、神道の氏子(神道で葬祭をする家)と一般の氏子(寺の檀家など)
との負担の差はありませんし、異議を言う人もいません。私の触(ふれ
・自治会)は、24戸ありますが、神道の家は1戸です。他の地域でも、
多くても2,3戸ぐらいの割合と思います。

 又,壱岐に定住してきた先祖を持つ家は、ほとんど、どこかのお寺の
檀徒となっています。江戸時代にキリスト教対策としてつくられた檀家
制度
が厳然とあり、お寺には位牌堂がつくられ、各家庭別の仏壇があり、
位牌が祭られています。故人の位牌は、家庭と旦那寺にあるわけです。

 位牌堂というと、対馬の万松院を思い出します。この寺は、対馬の大
名の宗氏の菩提寺ですが、ここに徳川歴代将軍の豪華な位牌が祭られて
います。
 宗氏が徳川将軍をバックに朝鮮通信使を威圧しようとした意図が読み
取れて面白く思いました。朝鮮通信使は、どんな思いで頭を垂れたので
しょうか。
 最近のニュースによると、この朝鮮通信使の行列が復活して、盛大に
親善の輪を広げたり、対馬と韓国間に定期航路もスタートしたというこ
とてすが、一衣帯水の壱岐人としても大変嬉しい事です。

 葬式が終わると、ほぼ一ヶ月以内に寺送りの供養が行われます。これ
は「寺の位牌堂に故人の位牌を送り出す」儀式で、昔は故人が世話にな
った地域の人や友人達まで呼んで大々的に行っていましたが、最近は親
族の範囲ぐらいになっています。この時、寺
(住職)司堂金を納めま
す。金額は任意で、相場は5万〜30万円ぐらいと思います。余裕のあ
る人は上限はありません。この時、別途、先祖供養の名目で、金品を寺
に寄贈する人もいます
が、一般的ではありません。

 供養は、こまめに行われます。一年先ぐらいまで、まとめて行うとい
うことは、滅多にありません。

 壱岐では戒名料という言葉は、使われていません。 

 壱岐の
檀家は、正月春の彼岸十夜の四回、旦那寺に参りに行
きます。檀徒の代表の
総代が世話をしますが、総代を中心とした支持組
織は経済的支援をはじめ、強固なものです。
 寺への義務的な納入金は、供養代維持費で、分割して年1万〜2万
円前後だと思います。私達の寺では、最高で1.5万円ぐらいです。 
 十夜(じゅうや)供養は、壱岐のお寺にだけ行われているのでしょう
か。壱岐の人が、
十夜という言葉をだすと、島外の人から「十夜とは、
何か。」とよく聞かれます。

 十夜とは
十夜念仏の略で浄土宗の仏事のことです。「陰暦10月6日
より同15日までの10夜の間、念仏すること」が起源です。壱岐では、
この間頃に浄土宗だけでなく、
すべての宗派の寺で行われます。

 歿後、初めての十夜は「新十夜しんじゅうや)」といい、親族が寺に
集まり供養します。この時は、同じ宗派の住職さん
(寺数の少ない宗派は他
から応援をされている)
が集まり、嘆佛供養たんぶつくよう哀調を帯びた抑揚
の長い御詠歌に似たお経を唱えられる
)があります。この時、年忌供養(3回忌、
7回忌など)
先祖供養する家もあります。

 昔は、十夜は文字通り、夕方から夜にかけて行われ、親族が集まり、
位牌の前で賑やかに会食したり、境内には出店ができ、菓子や玩具が買
えるので、子供達も大変楽しみにし、当日はお祭り気分になって騒いだ
りしたものですが、今ごろは、供養も昼過ぎから始まり、夕方には終わ
っています。
 
 子供達の姿は、ほとんど、見かけません。

 最近、島外から説教師さんを呼んで、「説教」を復活させようという
動きがありますが、往年のように本堂一杯に人が溢れるようなことは、
もう、望むことはできません。

 正月には初詣をして、旦那寺に参って先祖の位牌を拝み、宅神祭(

くじんさい・宮司さんに家に来てもらい、家の神々を祭ってもらうこと。一般的では
ない。)
をして、彼岸に寺に参って先祖を偲び、七五三でお宮参りをし、
神前で偕老の契りを結び、盆には先祖を供養し、秋の氏神様のお祭りの
太鼓に血を躍らせ、先祖の年忌供養をし、新車・新築・地鎮のために祝
詞をあげてもらい、クリスマスには賛美歌の音色に心の安らぎを覚えつ
つ年の瀬を迎えて神棚・仏壇の清掃に励みます。

 お祝いは神道で、弔事や供養は仏式でと何の違和感もなく、生活して
いる私達日本人の
神仏混交の典型的宗教生活が、簡素化されたとは言え、
この壱岐の島に根強く残っています。

 この多神教的・許容的要素は日本人の思考のあいまさ・非論理性を示
していますが、反面、社会の
話・輪)の基盤になっているのでしょ
うか。

 こんなことを思い出しました。
 
 それは、学生の時、クリスチャンの教授が、英語のテキストに「マタ
イ伝」を使われました。古めかしい文体に嫌気がさしたある学生が、聖
書の奇蹟的な内容について疑義を述べました。
 教授は、おもむろに「信じればいいのです。信仰です。」と笑みを浮
かべながら言われました。この笑みの意味するものはわかりませんでし
たが、その時は、この教授は得体の知れない人のように思いました。

 とにかく、自分にとっては宗教は「心の休息」と自問自答しつつ,こ
の稿を終わります。

 
   
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