古事記発祥の島
      
一支国のルーツと歴史を探る
 
    
             占部 英幸

 
占部氏は、芦辺町国分東触在住の郷土史研究家です。特に、壱岐の古
代史の分野を渉猟されて、新しい見解に基づく研究の成果を数多く発表さ
れています。ここで、占部氏の提供を受けて紹介します。

 古事記は、若い人達にはあまり読まれていない本ですが、日本の歴史が
書かれたものとして古くから親しまれてきたものです。とくに壱岐・対馬
に式内社(しきないしゃ)が多くあることや、古事記の裏本(基本となる
本)を書いたのは壱岐の先祖が深くかかわっていた事などはあまり知られ
ていないのです。
 古事記が親しまれない理由は、難しい神々の名前がたくさんでてきま
す。むずかしい所はとばして何回か読んでいくと、少しずつ面白くなって
きます。なにしろ壱岐の先祖が書かれているのですから。


    
(長崎県壱岐郡芦辺町国分東触)

 天照大神(あまてらすおおかみ)やスサノオと月読尊(つきよみのみこ
と)は、とくに尊い神様で壱岐の島に多くの神社がありますが、これらの
中には壱岐が元(神道)になつたものもあり、なかでも月読神社は月読尊
を祖神(おやがみ)とする壱岐の海人(あま)族が祭ったもので、日本で
一番古く由緒ある神社と言われています。
 月読神社(祭神・月読命・月弓命・月夜見命)は四八七年に阿部臣事代
(あべのおみことしろ)という人が任那(みまな)に使いをした時に、壱
岐の島の月神から「私を祭れば日本国に幸福がある。」とお告げがあった
ことを天皇に報告し、京都にも祭られました。
 酒の神様として有名な京都の松尾大社の東に祭られています月読神社
は、千五百年の歴史がある京都で一番古いお宮で、松尾大社は千三百年前
に秦の始皇帝の子孫の秦氏が祭られたという事で、月読神社がいかに古い
お宮かがわかります。古事記に伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおか
み)の弟神として日の神(天照大神)に並んで高天原(たかまがはら)を
治めるようにいわれて、他の神々とは別名の三貴神(みはしらのうずみ
こ)と呼ばれています。伊勢の内宮の別宮に月読宮があり、イザナギ、イ
ザナミの親神と月読尊が祭られています。また外宮の別宮の月夜見宮にも
祭られ、皇室とも深く関係がある由緒正しいお宮です。



 壱岐の先祖の海人族は古くから北九州・玄界灘を往復し、中国や韓国、
東南アジアなどと交易を行い、また、天候や航海など優れた知識を活用し
て東シナ海にまで出かけて、海のシルクロードの文物の輸送を行ない、我
が国の文化の玄関港として壱岐は日本建国に多くの功績を残したのです。
 応神天皇の時代には、壱岐氏を名乗り、これらの文化とともに多くの帰
化人を受け入れたのは、壱岐の海人族が主役だったのです。この時代に帰
化系の雄族の秦始皇帝の後裔である秦氏が百二十県の民を率いて帰化しま
したが、帰化・投化人の人々から慕われて龍神として各地に深い信仰の輪
を広げた弓月君(ゆずきのきみ)が月読神社の祭神「月弓尊」として習合
されたと思われています。
 また、漢皇帝の後裔の王仁(わに)は書首(ふみのおびと)として諸々
の典籍(ふみ)をもたらしています。なお、秦氏とともに帰化系の雄族の
漢の皇帝の後裔の東漢氏(やまとのあやし)が十七県の民を率いて帰化し
ています。
 これらの多くの帰化系の人達が日本の国造りを行った事は、日本の歴史
にも明白です。この帰化人の橋渡しを行ったのは壱岐の先祖の海人(あ
ま)族であったのです。
 農耕など食文化、機織り、建築の導入、漢字や文物の移入など、アジア
大陸との架け橋として、壱岐島の果たした役割は大きく、歴史上からも今
後は大いに見直されると思います。
 
          筆者の連絡先⇒長崎県壱岐郡芦辺町国分東触268
                 рO9204−5−2369