鯨 供 養 塔


壱岐市芦辺町瀬戸浦・恵比須(地元の箱崎漁協・有志により供養されている)
玄界灘に面する壱岐市芦辺町瀬戸の恵比須は、紀州熊野(和歌山県熊野灘)についで、
鯨が多く、紀州の鯨よりも大きい鯨が捕獲されていた。
明応(1492〜1501)の頃に熊野の日高吉弥が、また、寛永(1624〜1644)の初期には肥前
大村(現長崎県大村市)の深沢儀太夫もこの地に鯨組を置いているが、明治(1868〜1912)
まで生月(現長崎県平戸市生月島)の益富、勝本(現壱岐市勝本町勝本浦)の土肥、瀬戸の
布屋、芦辺(現壱岐市芦辺町芦辺浦)、郷ノ浦(現壱岐市郷ノ浦町郷ノ浦)の許斐など多く
の鯨組が置かれた。
当初は、鉾・銛等で捕獲していたが、その後、鯨組を組織し、網で捕獲するようにな
り、海水の色もしばらくは変わるように多く捕れ、壱岐の七浦を潤す程であった。(海鰌
図解大成に「くじら一本とれば七浦の猫まで肥えるとか也」と記されている。) そこで、
組業者は漁場を見下ろす高台に供養塔を建立し、組の繁栄と鯨の冥福を祈った。
海に面した花崗岩の笠塔婆型の供養塔には、次の如き銘が刻まれている。
此組連綿吉祥 (左側)
奉読誦大乗妙典一千部 (表)
布屋
土肥
布谷 (台)
許斐
篠崎
茲時享保二丁酉年三月吉日 (裏面)
鯨○速証菩提 (右側) ※○は「魚児」で、辞書に(ゲイ、ガイ)で(雌鯨)ともある。
塔の高さ 240センチメートル

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