強羅公園事務所より、資料の引用・転載について許諾を得ました。
                          
(2001.8.23)

         松 永 耳 庵


  
  

 松永安左ヱ門は戦前戦後を通じ、政財界で大きな業績を
残しましたが、一方では文化面にも関心を持ち、そのため
の援助も惜しみませんでした。
 自身では、60歳の年に始めた茶の湯で耳庵の号を持
ち、益田鈍翁原三渓の後継者とも目される近代の茶人と
なりました。
 そして、茶の湯の美術を始めとする鑑賞美術の分野にお
いても優れた美術品収集をおこないました。
 なお、美術を愛好するとともに、松永記念館を創設する
など、その普及にも尽力されました。
註・上の写真の茶碗は、耳庵の
   所蔵されたものではないと強羅公園の方より連絡がありました。



    
鈍翁どんのう三渓さんけい耳庵じあん

 神奈川県箱根町強羅
ごうらにある強羅公園白雲洞茶苑は、巨岩怪石の
間に、深山のおもむきを保存して、見るからに山家
やまがの風情の濃い茶
室群です。
 ここは大正時代のはじめ、利休以来の茶人と称された鈍翁・益田孝(三
井コンチェルンの設立者で男爵)によってはじめられ、特に白雲洞は、翁
の創案になる田舎家の席として貴重な茶室とされています。
 大正11年(1922)、この茶苑は三渓・原富太郎(横浜の富豪で美
術品収集家として著名)に譲られ、この時三渓はあらたに対字斎を増築し
ました。昭和15年(1940)、茶苑は再び原家より
耳庵・松永安左ヱ
門(電力界の重鎮、松永コレクション創立者)に贈られ、この茶席は、明
治・大正・昭和と、三代を代表する三人の茶人の間に伝えられてきたもの
で、茶道への貢献も大きく、そのため近代数寄
すきの『三大茶人』と呼ば
れています。    
  註・数寄(@風流を好むこと。A茶の湯を好むこと。)

 


        

    
白雲洞茶苑    茶室群の特色―近代数寄の茶席

   
      
(白川和則氏撮影・壱岐郷ノ浦町沼津出身・東京在住)

 白雲洞茶苑は、寄付よりつきを含めて四棟の席から構成されています。巨
岩の間に点在するこれらの茶室は、全体に森林の中に侘び住む山びとのす
まいを主題として構成されています。平坦地が選ばれる多くの茶室の中
で、これは特異です。
 つぎにこの一群の茶室は、伝統的ないわゆる『草庵侘茶席
そうあんわびちゃ
せき
』の構成を踏まえながら、近代茶人の自由な茶の精神を茶室建築に反映
させ、茶室の形式主義的な束縛から離れました。それは茶道の初源に立ち
帰ることでもありました。このように白雲洞茶苑は、近代数寄の茶道の遺
風をしのぶ、貴重な茶席群になっています。

    
            
(白川和則氏撮影)



      
茶室めぐりのしるべ(白雲洞茶苑の構造)

白雲洞―鈍翁の田舎家いなかやの席

    
          
白雲洞
(白川和則氏撮影)

 近代数寄者茶人の間に流行した『田舎家』の貴重な作例で、山村農家の
古材の持ち味を生かしながら、八畳敷の茶室を構成しています。
 『
いろり』に縁ふち無しのたたみという意匠は、ここで用いられる茶道
の見立てに、全く枠をはずし、自由なものにしました。床柱は、松永耳
庵時代のもので、千年を経た奈良古材です。

不染庵ふせんあん仰木魯堂おおきろどうの作品

        
          
不染庵
(白川和則氏撮影)

 二畳台目に四畳半の
寄付よりつきが附属し、この寄付は相伴席しょうばんせき
の機能を、あわせ持つ構成です。
 外の
土庇どひさしを低く長く作り、席内の明るさを防いでいます。このた
め『
にじり口』は不要となり廃され、また天井に栗材のへぎ板を張って山
家の風情を濃くするあまり、その張り方も伝統的手法を脱しているなど,自
由な工夫が席の細部にまで散りばめられています。

対字斎―居室をかねた茶室

 二代目の庵主、三渓原富太郎の作った席で、広
の正面に『大文字山』
の大の字が望まれ、鈍翁筆の対字斎の額がかかげられています。八畳に四
畳の
立水屋たてみずやが附属します。

寄付よりつき―石炉もつ四畳半席

 織部
おりべの壁をもつ席に、長方形の石が据えられています。四畳半
ですが畳二枚の耳を切り落としているのは、東南角の曲木のためです。

白鹿湯はくろくとう茶室に附属する岩風呂

 巨岩の根元を掘り込んで岩風呂が作られています。鈍翁時代のものです
が、原三渓はこれに『白鹿湯』と名づけました。その時の板額は、現在対
字斎に保存されています。

茶席ご覧料(四席内部見学料)
 点茶券
(お菓子とも)500円
 各茶席の内部見学に際して、
抹茶がでます。
四季のお茶花を集めて
 
白雲洞茶園附属「茶花園」
 『
茶花園』は、白雲洞茶席群の裏手にあって、四季それぞれの『お茶
  』が集められています。



       
強羅公園と白雲洞茶苑
    
松永耳庵筆「白雲洞茶苑の主人となるの記」より(原文のまま)

 鈍翁が此所を造られたる彼是四十年も前で、小田原湯本間の小田原電
車が出来、翁の親友草郷清四郎氏が社長であるところから、翁の胆入でハ
イカラな強羅公園を作って人寄をすることとなり一色七五郎
云、日英博
覧会
日本庭園を担当した数寄者をして、この公園―岩石巨大なるため一
名ロックガーデンを作らしめた。一色は園内の一角
煎茶屋を樹てたの
対し、鈍翁は迎木魯堂をして田舎風の茶屋を作らしめ、浴場の如きも奇古
たる洞窟とし、恰かも鐘釣温泉を模したるかに見ゆる
強羅の温泉にはま
こと
似合いである。夫れから三渓先生の代になって、明星岳の大文字の
山焼を望む地点
新楼を増築せられ、以て現在に至ったのである。鈍翁
之に対字斎と名づけられた。
 三渓先生
浴場の扉

  
 鈍翁益田大人私造構想奇古

   余甚喜焉鈍翁以之授三渓
 
   干時大正十一年正月也  三渓識

 
之を以て見れば、先生
十八年の間鈍翁の余韻を継承して、白鹿湯を愉
まれた。予が白雲洞
、春桜、夏涼風、秋時雨散る紅葉を楽む事を
得るとすれば、即ち八十四の齢を重ねる次第である。王陽明が白鹿洞の詩
の末句、「一巻の黄経石上
読む」と云ふがあるが、石上膝を抱イテ山嵐
嘯けば、我願や足れりとすべきである。

        昭和十五年七月二十九日   松永耳庵
 



          
フランス式整型庭園
   
     箱根 強 羅 公 園

       
              
強羅公園正門右側
(白川和則氏撮影)
       
@イングリッシュローズガーデン    A高山植物園
B山野草園              C菖蒲園
D
白雲洞茶苑             E白雲洞茶苑附属お茶花園        
F熱帯植物館             G熱帯ハーブ館
Hブーゲンビレア館

開園時間  9時〜17時(※年中無休)
入園料   大人 900円   小人 450円
駐車場   ご入園客専用

お問い合わせは 箱根登山鉄道
強羅公園 
     〒250−0408 神奈川県箱根町強羅1300
      0460(2)2825 Fax0460(7)2597
 
箱根登山鉄道事業課   
http://www.hakone-tozan.co.jp
     〒250-0011 神奈川県小田原市栄町1-5-3 
     0465(24)2258 Fax0465(24)0125



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