松永記念館2    

      
         
福博電気軌道株式会社

 明治43年、福岡で『九州沖縄八県連合共進会』が開かれるため、電車
を走らせることを申請し、福博電気軌道株式会社(西日本鉄道の前身)
設立しました。この電車は全国一の安い料金として話題になりました。
 これが、松永翁が公共事業に足を踏み入れた第一歩となります。
                           
(01.12.11)

     

松永記念館の広場にあります。行き先の表示は、「博多駅」になってい
ます。

     

     
         
西鉄マークがある車体)

            
由   来

70年間に渡り福岡市民に親しまれてきた西鉄市内電車も時代の流
れに押し流されて、昭和五四年二月十日をもって姿を消してしまい
ました。福岡市の市電は、明治四二年資本金六〇万円で松永安左ヱ
門氏(当時三五才)等が設立した、福博電軌が、
      水茶屋→黒門橋間
      呉服町→博多駅間
に走らせたのが最初で、電車賃は一人一銭二厘、全国最低料金であ
ったといわれています。
福岡市の市電が姿を消すにあたりその創始者である松永安左エ門翁
の生地であるこの地に西鉄より寄贈されたものです。
 車暦昭和二三年四月製
 ボギー車五一六号

    

 
中央にある通路は、松永記念館より電車の方に突き出したかたちに
なっています。
 これは、松永翁の生地である印通寺港の桟橋を模して造られたとい
うことです。この桟橋から、若き松永安左ヱ門翁が、かつて、青雲の
志を抱いて故郷を出立されたことが想像されます。
 広場の全面に敷き詰められた石畳は、路面電車の軌道内に敷かれて
いた花崗岩で、福岡市内から運ばれています。
 玄海灘の荒波と翁の波乱に富んだ人生を表しています。

      

 
広場の北側中央に、松永翁一子夫人の胸像があります。これは、
長崎の「
平和祈念像」を作られた北村西望氏の手によるものです。
     

       
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