松永安左ヱ門翁 

          
      
      (壱岐松永記念館所蔵)

 
週刊 東洋経済 2000年新春合併特別号
20世紀超人伝説 佐高 信が選ぶ 経済人10傑
の欄があり、この10傑の中に松永安左ヱ門翁が入っており、
次のような解説がありました。

松永 安左ヱ門 まつなが・やすざえもん(1875〜1971)
長崎県出身。慶應義塾中退。日銀勤務を経て福松商会設立、石炭商とし
て活躍。1909年福博電気軌道設立。22年東邦電力設立。28年社
長。電力の国家管理で42年同社解散、いったん隠居。が、戦後の電力
再編で再び主導権を発揮、電気事業再編成審議会会長などを歴任。電力
事業の地域ブロック別民営化を推進、『
民電九電力体制』を構築。電力
界の鬼といわれた。『
耳庵 じあん』の号を持つ茶人でもあった。」

松永安左ヱ門といえば、やはり官僚とのケンカ。戦争中に電力の国家
管理に反対したわけだが、当時、軍部の統制に反対するなんて、それは
大変なことだった。即、刑務所行きでも不思議じゃないんだから。彼は
侍なんだ。それに比べて今の経営者たちは、政府にすがって『公的資
金をくれ』という。松永を先輩に持つ者として恥ずかしくないのか。」

なお、写真(略)の付記に、


「66年7月撮影、当時90歳。この年、トインビー著『
歴史の研究
日本語版の刊行を開始。前年の本誌インタビューでも官僚批判が冴えわ
たる。『官僚のやり方はとかく統制に流れる。……動機は一言で言えば
無駄を省こうとするのであるが、結果はより多くのマイナスが生じてい
る。』   」




        
初  め  に  !!
      
(ページ作成の動機)

 
 私が、松永安左エ門翁を知ったのは、中学時代に家にあった『
自叙伝
松永安左エ門
(昭和6年5月刊)、『玄界の濤に洗はれて(壱岐と少年時代)
(昭和8年9月刊)を読んでからです。
 
 その後、翁の電力界等における活躍振りを耳にすることがありましたが、
私自身、くわしく、把握していませんでした。たまたま、壱岐の識者との
話の中でも、どうして松永記念館に電車があるのか分からないというのが
出てきました。そこで、翁の足跡・業績について調査・紹介することにし
ました。

    
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