曽良翁二八〇年忌記念事業
      
  記念誌『海 鳴』抄録


 
      

        
            
   
               記念俳句大会

          
         
          
           
 記念品の「のれん
(背景は故永富鉄行氏の作)



まえがき……編集担当 中上史行

一、祭文………曽良顕彰会長 高田義敬

二、ご挨拶
……勝本町長  苣田一郎

三、曽良翁二八〇年忌を迎えて……諏訪市長  笠原俊一

四、お礼のことば…………記念事業実行委員会長  斉藤 茂

五、曽良翁忌追悼句……西宮市 山口誓子外53名

記念俳句大会  

  
季題  夏めく」と当季雑詠を含めて三句  
  
応募句  四百七十一句   選者   七名
  
入選   最優秀句七句 優秀句二十八句 佳作百四十句

  
入選句(最優秀句)

  夏兆す旅行社巴里パリーの地図貼りて   東京都  大前きよを
  
  
新樹光あびて遠忌の句碑除幕      
諏訪市  矢崎岳峰
 
  
町あげて一日を悼む曽良遠忌     
 諏訪市  佐藤則男

  
気疲れの着くづれとなる薄暑かな   
 呼子町  熊本加代子

  
夏めくや勇魚
いさな名残の海光る     長崎市  川渕素月

  
匂ひ来る藍の一湾夏めきぬ       
松浦市  太田耕石

  
灯台を大きく見せて夏めけり     
 勝本町  下条たかし

七、研究論文
………原田元右衛門

八、曽良旅日記より(天理図書館蔵)

九、曽良年譜

十、寄付者名簿・会計報告

あとがきに寄せて 
       
さ み だ れ 記
 
曽良翁二百八十年忌に当たり、昭和六十三年七月七日記念事業発起の議
が起こり、「曽良翁二百八十年忌記念事業実行委員会」をもって主催団体
とし、勝本町長の積極的な御援助と町議会の暖かい御理解並びに勝本町教
育委員会の後援を受けて、三百万円の補助を頂き発足した。事業の推進に
当たっては、各委員の造詣と蘊蓄が傾けられ、句碑建立等の計画が着々と
具体化してきた。一方この度の事業に深い関心を寄せていた諏訪市から約
百九十名に及ぶ来島の報に接し、受け入れに戸惑う事務局であったが、唯
ひたすら当日に向けて実行委員会の努力は続けられた。
 平成元年五月二十二日当日は、好天気に恵まれ、諏訪市長一行五名、諏
訪市文化協会一行約五十名、万葉ツアー約四十名、ミヤマ観光団約百名等
の遠来の参会と町内外多数の来賓、島内俳句会並びに一般参会を得て、午
前九時より城山公園で岩永西峰書の記念碑と中藤家前の曽良終焉碑の除幕
が開式された。供花薫る祭壇には郡美術展審査員永富鉄行鯨伏小学校長の
画になる曽良翁大肖像画と、福田孤舟勝本中学校長の染筆による大位牌が
安置され、裏千家平畑宗幸門下の供茶の後、能満寺住職坂口哲朗氏主座八
人の僧による歎仏供養が勤修された。高田曽良顕彰会長の祭文、諏訪市長
・勝本町長の追悼の言葉についで北斗句会下条孝氏が山口誓子外の追悼句
を献じた後、祭主斉藤会長の挨拶で法要を閉じた。次に感謝状の贈呈後、
記念俳句大会が開かれた。石橋北斗句会会長の挨拶、北斗句会中上慶孝氏
の入選句の披講、選者代表西川左生氏の公表の後、最優秀句に勝本町長杯
が贈られ、又町内小中学校入選者にも賞状と商品が贈られた。センター内
では有名俳人の句や曽良翁遺品の写真の展示に併行して、壱岐・諏訪の観
光特産展が開かれ、昼食を兼ねた懇親会の後には、諏訪の方々は、辰の島
に初夏の海と光を友として暫しの時を過ごし、帰途に着かれた。当日はNH
Kの取材もあり、後日広く曽良終焉の地として紹介した。今日まで細な集い
の中で「曽良さん」を慰め、崇め、そして「曽良さん」を偲びながら俳諧に
いそしみ、顕彰しつづけられた先人の心豊かさに衷心より敬意を表すると共
に「勝本の曽良さん」が「壱岐の曽良さん」として、こよなく愛され崇めら
れていくことを念願して止まない。
 二十年後、「曽良翁三百年忌記念事業」が計画されるだろう。その時は、
文化の底辺も大きな広がりを見せている事だろう。しかし、地味な「文化」
は華やかな「観光」の陰に隠れがちである。物に頼る事の多いこの頃、人
間の心のうごめきが、人間生活を高めていく大事さを忘れてしまう事さえあ
る。曽良忌が記念の集団行事として、多くの人立ちの中で物事だけをまつり
あげるのではなく、翁の遺徳と文化遺産に、地域の人々が、敬虔に心を寄せ
合い、崇め合い、親しみ合い、高め合う場としての「まつり」である事を期
待して止まない。
 この事業には、沢山の方々の御賛助を頂きました。只感謝あるのみです。
厚く御礼申し上げます。又御深慮な御高配と御協力を頂いた勝本町長殿をは
じめ役場・教育委員会の皆様方、右往左往する実行委員会を成功にまでお導
きくださいまして、誠に有り難く、衷心より厚く御礼申し上げます。
 就中、行政とのパイプ役を果たして頂いた鬼塚芳寿氏の積極的な取り組み
とパワフルな行動力は、実行委員会のエネルギー源であっただけに、大変心
労の多かった事と私達は筆舌尽くし難い感謝の念で一杯です。心から御礼申
しあげます。
 この記念誌発刊をもって、「曽良翁二百八十年忌記念事業実行委員会」を
解散することになります。末筆ながら、今日までお寄せ頂きました多くの方々
のお力添えに、重ねて深い感謝の誠を捧げ、益々の御多幸と御発展を祈念いた
しまして、この稿の筆を擱かせていただきます。

  壱岐人に俳諧曽良の忌日あり   (深川正一郎)

   実行委員会事務局  福田靖  原田彰夫



 
曽良翁関係の資料を蒐集中、原田彰夫氏の御厚意により、『海鳴』を手にすることができました。
この記念誌の中に出てこられる人達の中で、既に故人の方も居られます。
 特に、御厚誼を頂いた先輩・同期の方も居られ、感慨深いものがありました。
 謹んで、皆様の御冥福をお祈りします。山口(H14.9.2)


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