長 野 県  諏 訪 市 (す わ し)

   ※赤字部分は、平成6年に諏訪市・勝本町友好都市提携調印式の資料を
    更新されたもの。

・面  積 109.91Ku  東西14.7km  南北19.5q
・位  置  東経138°07′   北緯36°02′
        
海抜761.45m(諏訪市役所)
・世帯人口
  21,555世帯
       53,632人(男26,423人 女27,209人)

                     (平成17年9月1日現在)
・市制施行  昭和16年8月10日
・市の予算  179億9千万円(平成17年度当初予算)
・市  木
  きはだ、かりん
・市  花
  あやめ(はなしょうぶ)、ニッコウキスゲ

・市名の由来 
   諏訪は州羽、州波、諏方などと書かれた古い時代もあったが、現在
  の「諏訪」と書くようになったのは、支那の太湖を詠じた詩から取っ
  たものだという。それは詩の中に「曇諏波訪」すなわち曇諏い波訪う
  という語が非常に景色の良いことを形容している詩で諏訪湖がよく太
  湖に似ているために徳川期の初めあたりから、この詩語をそのままと
  って現在の「諏訪」と書くようになったといわれている。

・諏訪市章
            

     
諏訪市章は、古来瑞鳥とされた鵬の雄姿を図案化して「スワ」
    の文字とし、双翼に和と伸長を表現している。
                     (昭和16年8月10日制定)
・地  勢
   
諏訪市は、長野県のほぼ中央に位置し諏訪湖をひかえ、東北は霧ケ
  峰で小県郡に接し、南は上伊那郡と境し、西は諏訪湖をへだてて岡谷
  市を望み西北は下諏訪町、東南は茅野市と隣接している。又、古くは
  高島藩(諏訪藩)城下町として、大正から昭和初期にかけては製糸の
  町として、又近年においては精密工業のメッカとして「東洋のスイ
  ス」とも呼ばれ現在まで発展してきました。

<
市 民 憲 章>
  諏訪市民憲章を次のように定める。   (平成3年8月10日告示)

  諏訪市は
  ゆたかな自然と伝統に育まれたまちです。
  わたくしたちは、先人の努力を思い、
  さらに住みよいまちづくりをするために、
  ここに市民憲章を定めます。

  うつくしい湖 あふれる緑 小鳥うたうまち
  文化の香り高く いきいきと やさしいまち
  愛する郷土 世界のひとと 手をつなぐまち

[
歴   史]
 はるか昔にさかのぼりますと、約1万年前の旧石器時代から人々が住み
着き、和田峠より産出された黒曜石で石刃を作り生活していたとされてい
ます。
 その当時の遺跡から始まってその後縄文時代・弥生時代・古墳時代・奈
良平安時代・中世・近世の遺跡まで市内では約200箇所以上が発見され
ており、この1万年の間ほとんど人跡の絶えることがなかったことを物語
っている。古くから諏訪の地は、森と高原と湖という生活のための好条件
に恵まれ、地理的には、古来一貫して交通の要所でもあったため、古代人
の活発な生活舞台となり、永きにわたり地域の政治・文化の中心となって
きたといえる。
 諏訪が文献に登場するのは「古事記」の国譲りの神話が最初で、現在の
諏訪大社上社の祭神である建御名方命が逃れてきて諏訪を拓いたとされて
います。鎌倉時代にはこの諏訪社の末社を全国にもち諏訪信仰の中心であ
る諏訪神社を中心に一層発展し、戦国時代に至っては甲斐の武田信玄に攻
め入られ当時の諏訪領主諏訪頼重は亡び、一時は武田氏の統治下におかれ
ましたが織田信長により武田氏が滅ぼされると、再び諏訪頼忠が統治支配
するところとなりました。その後、頼忠は徳川家康につき、家康が封じら
れた際上野国総社の領に移り豊臣秀吉の部将日根野織部正高吉が諏訪の地
に封ぜられたのを期に豊臣家の領地になった。高吉は、すぐれた築城家と
して知られ、水の守りを主として諏訪湖の波打ち際に要害堅固な名城、高
島城を築き城下町づくりに勤めた。
 慶重6年(1601)の関ヶ原の合戦を契機に、高吉は下野国に移封と
なる一方、この際の恩賞により諏訪頼忠の子頼水が諏訪を再び領有し、以
後10代にわたる藩主の治世が明治の廃藩置県に至るまで続いた。明治4
年(1871)7月廃藩置県により高島県と称し、同年11月筑摩県の管
轄となり、続いて7年(1874)に下桑原村と小和田村が合併して上諏
訪村となり、9年(1876)には長野県の管轄、24年(1891)に
は町制を施行し上諏訪町となります。昭和に入ると、16年(1941)
上諏訪町、豊田村と四賀村が合併し諏訪市となり、更に30年(195
5)には中州村、湖南村を編入合併して現在の諏訪市が誕生となりまし
た。

[
文化・観光]
 信州はもとより日本の中心に位置する諏訪市は、風光明媚な諏訪湖畔に
あり、市民に潤いを与える多量の温泉が湧出し、背後には夏冬賑わう霧ケ
峰高原を配しているなど豊富な観光資源にはぐくまれた中央線最大の観光
地として早くからその名を馳せ、四季を通じて人々の心に安らぎと満足を
与え1年間に訪れる観光客は約
790万人を数えています。
 温泉湧出は市内いたるところに及んでおり、我国屈指の上諏訪温泉郷を
かたちどり、山紫水明な諏訪湖は日本アルプス、富士山の姿を湖面に映
し、日本の名山を一望にできる山岳パノラマを満喫することが出来ます。
 また、史跡、遺跡、社寺なども多く、上諏訪温泉を旅の基地として、こ
れらを尋ねるのも良いでしょう。
 中央自動車道の全面開通やJR中央線時間短縮のほか、全国の高速自動
車道の整備等と相まって、首都圏には2時間、中京圏には2時間30分と
いうより手近な距離となったことにより、好条件は更にいかされて観光客
の増加が期待されています。
 諏訪湖畔を中心として、
原田泰治美術館、北澤美術館、すわっこランド
間欠泉センターや高島城などの観光施設が数多くあります。また、同年に
国の重要文化財に指定された諏訪大社や、当市出身の平林たい子記念館、
当市出身の岩波書店初代社長の岩波茂雄の縁で同書店発行の全図書を収蔵
している信州風樹文庫など一見に値します。
 諏訪市における祭りの開催も多彩で、毎年8月15日お盆に諏訪湖上で
繰り広げられる諏訪湖上花火大会のほか、5月の高島城祭や
月のよいて
こ祭りなどが行われ、圧巻は、7年に一度、寅と申の年に行われる日本三
大奇祭に数えられている御柱祭であるが、これらも楽しむことができる。
この御柱祭は諏訪湖周辺の住民にとって、古くから諏訪大社を中心とした
篤い信仰に基づき、人々の生活にとけあって長く受け継がれてきた伝統的
行事であります。


    
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