壱岐の神社・1
式内神社
社殿を造り、神霊を祀ることは日本の民族宗教です。
大化の改新(645年)後、中国の法制度が継受され、律令制度ができ
ると、神祇式を制定して神祇省を設け、神祇官という役人をおきました。
醍醐天皇の延喜五年(905)に、弘仁・貞観の格式を折衷して、『延
喜格式』を撰修するよう命じられました。『格』が先ず出来あがり、
『式』は延長五年(927)になって初めて奏上されました。これが『延
喜式』です。
この『延喜式』の中の『神名帳』に登録された神社が式内社です。
壱岐の式内社
壱岐には、千以上の神社がありますが、そのうち、現在、神社庁に登録
されているものは、150社です。
壱岐の式内社の数は24社(24座)で、対馬は29社で九州全体では
107社です。壱岐・対馬で九州の半数を占めています。これは、壱岐・
対馬が国防上重要な位置にあり、辺地の離島でありながら「国」としての
取り扱いをうけたことに関係があります。
寺院の建立にしても、聖武天皇は天平十三年(741)金光明四天王護
国の寺と法華滅罪の寺の創建を国々に命じられ、壱岐・対馬にも国分寺が
建てられました。
壱岐国式内神社
(『壱岐国神社誌』より)
武生水町 国津意加美神社 那賀村 住吉神社
渡良村 国津神社 々 村 国片主神社
柳田村 天手長比売神社 々 村 月読神社
々 村 天手長男神社 々 村 興神社
々 村 津神社 々 村 角上神社
同 村 物部布都神社 田河村 高御祖神社
沼津村 爾自神社 々 村 兵主神社
鯨伏村 水神社 石田村 海神社
々 村 阿多弥神社 志原村 弥佐支刀神社
々 村 手長比売神社 々 村 大国玉神社
勝本町 中津神社 初山村 見上神社
箱崎村 佐肆布都神社 勝本町 ▲佐肆布都神社
▲式内社二十四座ナリシモ明治四十一年五月二十日々町郷社中津神社
へ合祀セラレタルニ依り現在二十三座トナル
『壱岐国神社誌』より(抜粋)
「元亀年間(1570〜72)吾壱岐国、松浦藩ノ領有ニ帰すスルニ及ヒ゛、
藩主数代ヲ経テ、天祥鎮信ト云ヘル名主現ハレ、延宝四年、藩の国学者
橘三喜ヲ遣ハシテ式内二十四座ヲ査定セシム、調査終ルニ及ビ、社殿ヲ
失ハレタル神社ハ之ヲ再建シ、又各神社ニ鳥居ノ石額及木鏡ヲ献ゼラレ、
篤ク崇敬ノ誠ヲ効サル、」
※ 橘三喜の先祖は、壱岐出身。
「壱岐神楽と平戸神楽の由来と沿革」に詳説 ⇒
壱岐の神社(トップ)