遭難者慰霊碑


 太平洋戦争後、大陸の日本の軍人や一般人は故国への引き揚げを始
めましたが、それは未曾有の困難を伴いました。
 「異国の丘」、「岸壁の母」や「帰り船」などの歌に当時を偲ぶこ
とができます。
 反面、日本からも大陸へ向かって帰還する人達も大勢いました。
 しかし、望郷の念に駆られつつも、不幸にも故国の土を踏むことが
出来なかった多くの人達もおられ、
壱岐の島には、機雷と台風によっ
て遭難された
日韓両国の方達の慰霊碑があります。

●昭和20年10月9日頃、鹿児島県の阿久根附近に上陸した台風は、
11日に台風が接近中とは露知らず、風波をしのぐために芦辺湾に停
泊していた朝鮮半島への引揚者の船を直撃しました。」

         
 大韓民国人慰霊碑


         

●そのころ、厳原港で無事台風を避け、日本人の引揚者を乗せた珠丸
は、14日に出航し、壱岐の勝本沖で日本海軍の敷設した機雷に触れ
て沈没しました。
 遭難された日韓の多くの無辜の人達の冥福を祈り、戦争の空しさを
風化させないために、このページを作ります。
 (2001.3.14)

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