壱 岐 焼 酎

 
昭和48年(1973)発行の壱岐商業高校郷土社会部の『島人』(第8号)
に、目良亀久先生(元壱岐酒造協同組合参事)が「壱岐焼酎について
を特別寄稿されています。ご子息、
目良睦夫(郷ノ浦町本村触・酒店目良新光屋
経営)の許諾を得て、転載します。

壱岐焼酎について
 熊本県の人吉地方の米を原料とした球磨焼酎(焼酎乙類)をのぞいて、
他は殆ど甘藷を原料とした
甘藷焼酎(焼酎乙類)を造ったのであろうか。
 実は今のところ、この麦焼酎に関する歴史的な資料は全然見出されてい
ない。ただ僅かに寛政七年(1792)に平戸藩が制定した「
町方御仕置帳
に酒屋に関する五、六の条項を見出す事が出来るが、その中に焼酎と云う
文字が二ケ所程出ている。
 その一つは、酒、焼酎の値段について。
 「一、古酒、新酒、
焼酎の値段其の穀物の相場、並に下ノ関・大阪の売
り酒の値段等相考え……奉行中に相談に及び、相当の値段に相極めるこ
と。新造り入りの清酒、
焼酎売り出し候節は役所え持出させ試み候て不出
来にこれ有り候は値段を引き下げ売らせ申す可く候」
 もう一項は、
 「一、荒生(アラキ=高度のもの)の
焼酎、酒屋一軒に(?)升宛か
こい置かせ諸士中其の外病用に就き所望これ有り候節は指紙相渡し代銀引
替に売渡させ申すべき事」となっている。
 しかし、この場合の焼酎は酒の粕取り焼酎であってもろみ取り焼酎であ
ったとは考えられない。
 現在のところ、壱岐では酒の粕取り焼酎は製造されていないが二十年位
前迄は各清酒業者は造ったものである。方言で「カラセゼ焼酎」と呼ばれ
ていた。
 焼酎は日本本来のアルコール飲料ではなく中世南蛮との交易が盛んにな
るにつれ移入され、その当時においては大名や豪商等の特権階級が南蛮酒
として珍重したものである。
 この焼酎渡来の年代については十六世紀末〜十七世紀前半と種々説があ
るが、薩摩の国においては永録年間
(1558〜1570)すでに存在し庶民の飲
料でもあったらしい。
 鹿児島県大口市太田の八幡神社の解体修理に当たって一つの落書きが発
見された。「永録二年八月十一日作次郎、鶴田助太郎」と署名し、座主、
多分神宮寺の住職であろう。「この住職はケチンボウで一度も腹一パイ焼
酎も飲ませず、何とも迷惑な事である云々」との意味が墨書されていた。
 焼酎も元禄頃
(1688〜1704)全国的に製造されたと云う。原料は米や雑
穀であったらしい。
 甘藷の渡来については元禄十一年
(1698)とも宝永二年(1705)とも云
われているが、延享期
(1744〜1748)には九州は云うにおよばず四国一円
一般常食とするまでにその耕作は普及した。
 甘藷焼酎の創始に関してはこれまた、明確な資料はなく甘藷の普及と共
に甘藷焼酎が発明され一般大衆の致酔飲料となった。おそらく幕末頃であ
っただろうと云われている。それが現在におよんでいるのである。
 ひるがえって、壱岐の場合、農家では自家用として濁り酒(トブ酒)と
焼酎を自己で製造した。その焼酎の原料に麦を使用したのは平戸藩の農業
政策や徴租政策がその因をなしているのではないかと思う。
 平戸藩は壱岐の地勢上、開墾を奨励したのであろう。丘陵の頂上までも
開墾され、かっては畑地であったと思われる土地に、現在は植林されてい
るのをよく見かける。
 畑地も、定められたある率によって田地―高地に換算され、米をもって
貢租を納入せねばならぬのであった。農民達の収穫した米は、畑の分まで
米によって納入せねばならぬので、手許に残る米は皆無と云ってもよかっ
たのではないかと思う。
 畑よりの収穫物、麦は常食用とし、大豆、菜種は換金用としたものであ
ろう。そうなると甘藷の栽培がすくなくなるのは自然の勢と思う。壱岐で
は甘藷は常食的な性格はなく間食的な性格が強い。これ等の理由によって
農家には麦の手持ちが多くなり、自然と焼酎原料に麦が使用されたのでは
ないかと思うのである。
 明治政府となってからは自家用製造の鑑札を受けて焼酎や濁り酒をめい
めいの家庭で作っていた。
 明治十三年九月、太政官布告四〇号によって酒造税則が制定され,種類
別の一石当りの造石税額が定められ、自家用酒の造石を一ケ年一石以下に
制限した。
 明治十五年十二月布告第六十一によって(1)酒造造石税の改正(2)
酒類免許に対する石数の制限については清酒は百石、濁り酒十石、その他
は五石以上とする旨規定されている。
 この布告には焼酎と明記されていないが、その他に焼酎も包含されてい
たと解せられるが、この時、壱岐にて焼酎の製造免許の下付を受けたもの
があったか、今のところ、何の資料もない。自家用酒の製造は許されてい
た。
 明治三十三年に近代的な酒税法が制定され焼酎においては五石(九00
リットル)を最低限として製造が免許される事となり、麦焼酎を企業とし
て製造しようとする者が各村に続出し、三十三年度の分は不明であるが三
十五年の統計によると清酒製造業者十七名、焼酎製造業者三十八名となっ
ている。
 焼酎業界にも浮沈があり、漸次、沙汰され、四十五年度には清酒業者十
四名焼酎業者十九名となり、更に大正十五年度には清酒業者十二名焼酎業
者十一名となった。この業者数はしばらく続き、昭和七年度には焼酎業者
十名となり、現在においては、清酒業者七名、焼酎専業者六名、清酒業者
の焼酎工場が一場あって、工場数としては七場となっている。
 清酒業者も麦焼酎を製造しているが、これがいつ頃から麦焼酎を製造す
るようになったかは判明しない。
 壱岐の麦焼酎がどれだけ製造されたか明治三十三年の統計は不明である
が、次の通りである。
 明治三十五年  焼酎   七八八石  清酒  二四八六石
 大正  八年  〃   二五八二〃  〃   三〇九四〃
    十五年  〃   一七五九〃  〃   一七七八〃
 昭和  十年  〃   一四三六〃  〃   一五三〇〃
 戦時、戦後にかけて酒類製造用の原料は極度に逼迫し、
 昭和 十八年  焼酎   六七八石  清酒   四七四石
 〃 二十二年  〃    二九〇〃  〃    二一〇〃
 と減少し、需要のバランスがとれず、焼酎にては原料アルコール四百石
を移入し、麦焼酎に混和された。
 昭和二十七年には麦類の統制が解除されたため焼酎の製造高は一躍増加
し、       焼酎  一八六〇石  清酒   六八五石
 昭和三十年度には焼酎、清酒とも生産量は順調に上昇し、
         焼酎  二〇二六石  清酒  一一四八石
 そしてはじめて三十五度の焼酎六十石も生産された。
 昭和 四十年  焼酎   二七六kl  清酒   四一八kl
 〃 四十二〃  〃    三一一〃  〃    五八一〃
 〃 四十五〃  〃    四二八〃  〃    四〇六〃
 〃 四十六〃  〃    五七七〃  〃    三九六〃
 〃 四十七〃  〃    六五五〃  〃    三七〇〃
 焼酎の島外出荷については酒造協同組合においても種々企画するところ
があったが、はかばかしい成績はあがらなかった。僅かに対馬へ移出する
程度であったが、この三,四年来、旧式焼酎ブームとなり、島内消費も驚
異的に増加し、又、福岡方面への出荷もとみに増加し、島外出荷は四十六
年度二一、〇九二リットル、四十七年度三三、九五五リットルとなった。
 従来は壱岐で生産される焼酎の殆どが島内で消費されていた。明治四十
五年の統計によると島民一人当りの消費量は清酒六升八合、焼酎四升三合
となっており、大正八年清酒七升六合、焼酎五升五合、昭和八年、清酒四
升六合、焼酎三升七合、昭和十五年清酒三升四合、焼酎三升六合、酒類が
統制されるや十七年には焼酎一升五合三勺、十九年には七勺五才となって
いる。
 
壱岐島民の嗜好は壱岐焼酎に限られていたが、大正八年にはじめて新式
焼酎(甲類)が一一三石移入されたが、嗜好に適せず漸次減少し、昭和十
六年度の八四石を最後として移入は杜絶した。
 しかるところ昭和二十三年島内産の焼酎が払底し止むなく、新式焼酎三
二一石が移入されたが、現在においては新式焼酎は一滴も移入されていな
い。』

 
目良亀久先生は、お仕事の傍ら、民俗学、郷土史研究、文化財の
保護等に取り組まれ、数々の業績を残し、平成五年に永眠されまし
た。

 以下の掲載内容(写真等)は、壱岐酒造協同組合の許可を得て、
パンフレット等から作成したものです。

最近の壱岐焼酎の生産量
  (壱岐酒造協同組合資料・25パーセント換算)

 昭和55年度 1548kl   平成 元年度 1611kl

 平成 5〃  1588〃   平成11年度 1795〃
 

         焼酎乙類の産地 
壱岐焼酎」「球磨焼酎」「琉球泡盛
 
長崎県壱岐郡)   (熊本県球磨郡・人吉市)   (沖縄県
     
地理的表示の産地指定
      
(平成7年9月5日・国税庁長官)

地理的表示で世界的に保護が認められている例
             
(WTOのトリプス協定)
 

   
ウイスキースコッチ、バーボン
     
ブランデーコニャック、アルマニャック
        ワインボルドー、シャブリ、シャンパーニュ

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麦焼酎発祥の地は、玄界灘に浮かぶ、
  太古の夢とロマンにあふれた島「
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麦焼酎のふる里、「壱岐の島

壱岐焼酎の特長
 米麹1/3、大麦2/3のを使用した壱岐独特の製法で、麦の
香りの風味と米麹を使用することにより、天然の甘味が特長であ
り、焼酎独特の味を醸し出しています。
 
七メーカーが古くからの伝統を継承し、たゆまぬ創意と工夫を
重ねて、造りあげた
本格焼酎です。
 世界のブランドに仲間入りしたその芳醇な味と香り、さわやか
な飲み心地をお楽しみ下さい。

    
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