壱岐の文化財一覧
  
(平成4年壱岐郷土館調査一覧表を基に補足作成)
     
重文(重要文化財) 有(有形文化財) 無民(無形民俗文化財)
     史
(史跡) 天(天然記念物) 絵(絵画) 彫(彫刻) 
     工
(工芸) 書(書跡) 植(植物) 地(地質鉱物)

@国指定文化財
勝本町
辰の島
たつのしま海浜植物群落
(昭42.2.17・天・植・東触)⇒勝本港の北西約2qにある辰の島は6.7haの島、
多くの海浜植物が混生しているが、なかでも砂地など発育し群落をつくる
ハイビャクシン(別名イワダレネズは貴重。

勝本城跡

(昭50.11.7・史・坂本触)⇒天正19年(1531)豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)
に際し、平戸の松浦鎮信に命じて構築させた出城で、別名「武末城」。城
跡はよく旧形をとどめ、石垣の一部を残す。ここは「城山公園」になって
おり、曾良の句碑などがある。写真は、「虎口」で対馬海峡を望見できる。

芦辺町
高麗版大般若経
こうらいばんだいはんにゃきょう
(安国寺・昭50.6.12・重文・書・深江栄触)⇒版本は高麗で印刷された初彫本で、
1046年
(重煕15年)以前のもの。版木はすべてモンゴル軍の兵火で灰になった
ため世界的に貴重な仏教資料。一部が宝物展示館で公開されている。

芦辺・石田町
原の辻はるのつじ遺跡
(平9.9.2・史)
⇒ 旧石器時代から中世までの複合遺跡。最も栄えた弥生時
代の貴重な遺物が数多く出土している。
一支国の王都と考えられ、現在、
「保存整備基本計画」が策定され、最終目標の「一支国遺跡博物館」づく
りに向って、用地買収・発掘等地道な努力が続けられている。なお、国指
定特別史跡
に指定された。

壱岐郡四町 
壱岐神楽
(昭62.1.8・無民・芸)⇒幣神楽、小神楽、大神楽、大大神楽(磐戸神楽)の4
種目があり、大神楽が多く奏される。平戸・上五島神楽とともに本県の代
表的な神楽として高く評価されている。

A国選択文化財
壱岐郡四町
壱岐の船競漕ふなきょうそう行事
(平3.2.1答申・無民)ふなぐろみーきぶねは櫓を用いて一定の距離を速く
漕ぐ競争。勝本浦、聖母宮の大祭行事が著名であるが、近年、郷ノ浦町で
も復活した。船競漕の典型的なもの。

B県指定文化財(一部掲載)
郷ノ浦町
壱岐志原
しわらのスキヤクジャク群落
(昭31.4.6・天・植・大原触)⇒熱帯性の小さなシダ。日本では小笠原の硫黄島、
屋久島、北松の平戸大島それに壱岐の4地だけに分布するが、壱岐はその分
布北限として学術上貴重。

初瀬はぜの岩脈
(昭41.9.30・天・地・初山東触)⇒写真前掲・2種の火山岩が噴出した順序を
示すもので壱岐島の成立解明上貴重な資料である。

壱岐の鏡岳かがみだけ神社社叢しゃそう
(昭48.9.4・天・植・初山東触)
⇒鏡岳神社は壱岐最南端に所在する神社。この社
叢は壱岐の代表的な暖帯林の一つで、分布北限のギョクシンカをはじめと
する貴重な植物が多く、学術上重要な社叢である。 

亀丘城跡かめのおじょうあと
(昭52.5.4・史・本村触)
⇒永仁1年(1293)肥前上松浦(唐津)の岸岳城主波多宗無
の築城。永仁から明治まで壱岐の軍事・政治の中枢をなした唯一の城で、
石垣の一部を残す。

壱岐ステゴドン象化石
(昭52.5.4・天・地・壱岐郷土館)⇒ステゴドン象は1200万年前から200万年前にか
けてアジア大陸に分布した旧象だが本象化石は500万年前
(鮮新世中期)と推
定されている。国内では数少ない象化石。

勝本町  
勝本のハイビャクシン群落
(昭26.7.3・天・植)⇒ハイビャクシンは別名ソナレ、イワダレネズ。海浜性
の常緑低木である。指定地は勝本沖の若宮島、名烏島、丸山島の島嶼と
串山半島で、その砂地、断崖等に群落がみられる。
 
壱岐報恩寺ほうおんじのモクセイ
(昭36.11.24・天・植)⇒モクセイは中国原産の常緑の小高木だが、本樹は幹
囲1.75m、樹高9.4mの大木。樹相も整い樹勢もさかんである。10月の開花
期には芳香が600mの遠方にもおよぶという。

文永の役新城しんじょう古戦場

昭50.1.7・史)⇒文永11年(1274)、モンゴル軍は壱岐北西海岸に上陸する。
守護代平景隆は寡兵で迎撃するが自刃した。この一帯は、激戦地の伝承が
多く、新城千人塚の地が指定された。


壱岐のステゴドン象化石産出地
(昭52.7.29・天・地・立石西触)⇒ステゴドンは現在のゾウの祖先にあたる大型
ゾウで、東アジアに分布した。その500万年前の化石
(臼歯や牙など)20個が、
昭和46年、六郎瀬鼻の海岸から発見され、壱岐と大陸が陸続きだったこと
を証明できる。
 
芦辺町  
鬼の窟おにのいわや
(昭36.11.24・史・国分本村触)
⇒径45m。高さ13m。石室全長16m。羨道、前室、
中室、玄室からなる横穴式石室。玄室は東西3m、南北3.2m、高さ3.3m。笹
塚古墳とともに壱岐島最大の円墳。6世紀末から7世紀初めの築造とみられ
ている。周辺は島内で最も古墳の多い地区。

壱岐国分のヒイラギ
(昭36.11.24・天・植物・国分川迎触)⇒本樹は美崎神(住吉から国分へ向う途中の路傍)
を祀る小森の中に立つ。幹囲2.3m、樹高8.8m。枝張りは北に9m、南に5mと
樹勢旺盛な巨木で雌株とみられている。

壱岐安国寺のスギ
(昭43.12.23・天・植・深江栄触 ⇒安国寺境内の西側に立つ本樹は、島内の全樹
木中最大のものである。幹囲6.5m、樹高30m。大樹に加え見事な樹形と風格
を備える。樹勢はさかんで壱岐随一の名木である。

壱岐安国寺跡
(昭49.4.9・史・深江栄触)⇒足利尊氏は暦応元年(1338)元弘の変以降の戦没者の
冥福を祈るため、国毎に安国寺建立を命じた。壱岐は既設の海印寺をあて
た。九州の安国寺跡は3カ所でその一つ。

壱岐国分寺跡
(昭49.7.2・史・国分本村触)⇒国分寺は天平13年(741)聖武天皇の詔によって、
国毎に建立されたが、壱岐は壱岐氏の氏寺を壱岐島分寺とした。県下に唯
一の遺跡である。

弘安の役瀬戸浦古戦場
(昭50.1.7・史・瀬戸浦一帯)⇒弘安4年(1281)モンゴル軍は再度来襲した。ここ
瀬戸浦一帯は詳細は不明だが、港内港外で激戦が展開されたと考えられて
おり、海上を望見できる地が指定されている。

壱岐長者原ちょうじゃばる化石層
(昭51.2.24・天・地・諸吉本村触)⇒長者原は八幡半島南端の海岸で、露出する中
新世の珪藻土層からは多くの化石が産出する。地質学上、古生物学上、西
日本に類をみない貴重な化石層。指定面積4,429u。

大塚山おおつかやま古墳
(昭62.3.3・史・深江栄触)⇒本古墳は5世紀後半の築造とみられる竪穴系横口式
石室で、壱岐で最も古い1基である。径14m、高さ2m。石室全長3.96m。遺
物は須恵器がある。指定面積400u。

石田町
壱岐白沙八幡
はくさはちまん神社社叢
(昭43.12.23・天・植・筒城仲触)⇒本社叢は筒城浜の近辺にあり壱岐を代表する
暖帯林の一つ。主要樹はシイでいずれも老大木ばかりである。その中の最
大は幹囲3.9m、樹高15mで、樹勢は旺盛である。

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