壱岐の歴史略年表 1
〜石器時代
●ステゴドン化石⇒約1200万年前〜200万年前・中国大陸からインドに
かけて広く分布。壱岐の化石→500万年前
壱岐郷土館のシンボル《ステゴドン象》(郷土館裏庭)
昭和46年、勝本町立石西触の六郎瀬鼻(ろくろうぜばな)の海岸(湯ノ本湾)の崖から化
石を発見・写真は当時の発掘風景(壱岐郷土館展示)
縄文時代(紀元前1万2千年頃〜紀元前3世紀)
●鎌崎・名切遺跡(郷ノ浦町海岸)
松崎遺跡(勝本町海岸)
壱岐の縄文遺跡は、24ヵ所がわかる。ふだんは海中で、
干潮時にだけ姿を表す。
弥生時代(紀元前3世紀〜紀元4世紀)
●カラカミ遺跡(勝本町立石東・立石仲触)
●原の辻はるのつじ遺跡(芦辺・石田町)
●車出遺跡(郷ノ浦町)
『魏志倭人伝』に「三千ばかりの家がある。やや田地があるが、水田を
耕しても食糧は十分でないので、南や北と交易している。」とある。
古墳時代(紀元3世紀末〜7世紀)
●338基(『壱岐国続風土記しょくふどき』1742)
●256基(県教委調査・県全体の62.5%)(主に円墳・横穴式石室)
勝本町(111基)
●双六そうろく古墳 ⇒立石東触・前方後円墳では県下1位・長さ91m
藤ノ木古墳に匹敵する出土品
●対馬塚つしまづか古墳⇒立石東触・前方後円墳・県下4位・長さ65m
・北西方向に対馬を遠望
●篠塚ささづか古墳⇒百合畑触・円墳・径66m・亀形金銅製馬具出土
●掛木かけぎ古墳⇒布気触・円墳・径23m・石室13.6・家形石棺
●百合畑ゆりはた古墳群⇒百合畑触・前方後円墳全長26.5m・21・20二基・18他
芦辺町(55基)
●鬼の窟おにのいわや古墳⇒国分本村触・円墳・径45m・横穴式石室→国内12位
九州2位
●大塚山おおつかやま古墳⇒深江栄触・円墳・径14m・竪穴系横口式石室
郷ノ浦町(145基)
●鬼屋窪おにやくぼ古墳⇒有安触・円墳(封土流失)・石室4.1m・捕鯨線刻画
石田町(27基)
飛鳥時代(6世紀末〜・聖徳太子摂政593年頃)
●大宰府管下(推古天皇・609)⇒壱岐は大宰府政庁の治下に入る。
●国司・郡司(大化2・646)⇒大化の改新に伴い壱岐に置く。
●防人・烽台(天智・664)⇒対馬・壱岐・筑紫等に置く。(日本書紀)
奈良時代(和銅3・710年〜)
●壱岐郡・石田郡の郡境を定める。(天平1・729)
●遣新羅使(天平8・736)⇒雪連宅満ゆきのむらじやかまろ、遣新羅使の一行に加
わり病死、のち壱岐の石田野に埋葬する。
『万葉集』巻15に挽歌9首あり。
●国分寺(天平16・744)⇒壱岐に国分寺の設置が決定。壱岐は国分寺を新た
に建立せず、壱岐氏の氏寺をあてる。
●卜部道作(宝亀4・773)⇒壱岐島天位卜部道作、和気清麻呂が宇佐八幡宮
において神意を問うに当たり、卜占の任を果た
す。僧道鏡事件(宇佐託宣集)
長岡京遷都(延暦3・784)
平安時代(延暦13・794〜)
●防人を置く(承和2・835)⇒新羅人の来航に備え、壱岐島人(防人)に14
を守らせる。
●新羅人の来襲(寛平7・895)⇒新羅の賊が壱岐に来襲、官舎が焼失したこ
とを大宰府に報告する。
●式内神社の決定(延長5・927)⇒醍醐天皇の命で藤原時平、忠平らが
905年に着手。927年に『延喜式神名帳』完成。
壱岐24社
●刀伊といの賊(寛仁3・1019)⇒刀伊人(女真族)、襲来、藤原理忠ふじはら
まさただを殺害し、島民多数を略奪する。
鎌倉時代(建久2・1192〜元弘3・1333)
●太宰少弐の管轄(建久7・1196)⇒源頼朝、武藤小次郎藤原資頼を筑前守護
に任じ、太宰少弐に補し、筑前・豊前・肥前・壱岐
・対馬を管轄させる。
●文永の役(文永11・1274)⇒元軍襲来・平景隆たいらのかげたか戦死
●弘安の役(弘安4・1281)⇒元軍再来襲・少弐資時しょうにすけとき戦死
元寇後、松浦党の進出が激しくなる。
●松浦党築城(永仁1・1293)⇒唐津岸岳城主波多宗無が亀丘城(郷ノ浦)を
築く。
亀岡城(郷ノ浦町本村触)
南北朝時代(元弘1・元徳3・1331〜元中9・明徳3・1392)
建武の新政(建武1・1334〜建武2・1335)
室町時代(延元3・暦応1・1338〜)
●安国寺(延元3・暦応1・1338)⇒足利尊氏、全国に安国寺を建立。海印寺を
壱岐安国寺となす。
●松浦党の分治(文和24・応安2・1369)⇒志佐・佐志・鴨打・呼子・塩津留の
五氏が壱岐を分治する。
●倭寇、中国沿岸等を荒らす(嘉吉3・1443)⇒壱岐・対馬・松浦の倭寇が中
国の沿岸を襲い、その帰途、済州島の官
船を襲撃する。
戦国時代⇒応仁の乱(1467〜77)以降、下克上の世となる。
●波多泰、壱岐領有(文明4・1472)⇒上松浦岸岳城主波多泰が壱岐を奇襲
・五氏を討ち、壱岐を領有。亀岡城を修復。
波多氏の内紛及び下克上続く。
●日高甲斐守喜、壱岐占拠(元亀1・1570)⇒日高甲斐守喜このむ、壱岐城代
波多政まさしを亀岡城に攻め、壱岐守護とし
て全島を領す。
●壱岐、松浦氏の支配下へ(元亀2・1571)⇒日高甲斐守喜は、平戸、松浦
隆信へ誓紙と娘を人質に送り、松浦氏へ属す
ることを乞う、隆信、人質の女を二男信実の
妻とし、信実を壱岐城代とする。
日高氏は松浦氏に属する。以後、壱岐は
平戸領となる。
●浦海うろみの海戦(元亀2・1571)⇒対馬の宗氏は、波多氏の依頼で壱岐を攻
撃するが、松浦・日高の連合軍に大敗する。
安土桃山時代(天正1・1573〜)
●武末城(勝本城)(天正19・1591)⇒豊臣秀吉、松浦鎮信に命じ勝本城を築き、
本多因幡守俊正に守らせる。
●文禄の役(文禄1・1592)⇒秀吉、朝鮮出兵(勝本城は名護屋城の出城)
鎮信、従軍(兵三千)
●日高氏戦死(文録2・1593)⇒日高甲斐守、平壌城の戦闘で戦死する。
●慶長の役(慶長2・1597)⇒秀吉、再度出兵
江戸時代(慶長8・1603〜)
●朝鮮通信使(慶長12・1607)⇒第一回朝鮮通信使、対馬を経て勝本に来着
(以後、12回の使節が来る。)
●遠見番所・烽台(寛永18・1641)⇒岳の辻と若宮島に置く。
●検地(明暦2・1656)⇒壱岐の田高20,164石、畑高11,405石、
新開田14,281石、計45,850石
●式内社調査(延宝4・1676)⇒松浦鎮信、老臣滝川弥一右衛門時成・寺社
奉行村松伊織正供・国学者橘三喜に命じ、壱岐
国延喜式登録の神社の位置・祭神等を調査さ
せ、後に木鏡・石額を献ずる。
●捕鯨の新漁法(延宝8・1680)⇒捕鯨の漁法を改良し、網取法を始める。
●曾良客死(宝永7・1710/5/22)⇒幕府巡見使一行に曾良陪従、勝本浦
中藤家にて客死。
●古墳調査(享保7・1722)⇒幕府の命により、壱岐国の石窟(古墳)を調査す
る。
●小山弥兵衛、流罪(元文4・1739)⇒弥兵衛、生野一揆の罪により壱岐へ配
流される。
●『壱岐国続風土記』成る(延享1・1744)⇒吉野秀政、1742年、亀岡城に招
致され、藩主より撰述の命を受け、編纂を完了
し、提出する。
●当田新田(安永6・1777)⇒鯨組・土肥市兵衛が、箱崎当田新田50町歩余の
大半を竣工する。
●百姓源蔵直訴事件(文政2・1819)⇒壱岐国可須村(現勝本町)東触の百姓源蔵
は、幕府に松浦藩の秕政を弾劾直訴し、翌年、
松浦藩により百間馬場において処刑される。
●『春一番』の発祥(安政6・1859/2/13)⇒郷の浦町元居の漁船、五島
沖で強風により遭難し、五十三人死亡。この風を
「春一はるいち」と呼び、怖れる。『春一番』の語
源となる。
●『壱岐名勝図誌』成る(文久1・1861)⇒後藤正恒等、編纂し、藩主に呈
する。
明治時代(明治元年9月8日、慶應を明治と改元。1868年)
●二郡二十四村(慶應4・明治1・1868)⇒改元時、壱岐郡、石田郡・ 石田郡
は十一村、壱岐郡は十三村
版籍奉還(明治2年)→平戸藩主は平戸藩知事へ
●長崎県へ(明治4・1871)⇒廃藩置県→@平戸藩を廃して平戸県へA5藩
(長崎・平戸・島原・福江・大村)を合して長崎県へ
B翌年、対馬を長崎県へ(2郡22村)・戸籍法
●郷の浦郵便局(明治5・1872)⇒この年、学制発布・徴兵令
●犬狩騒動(明治6・1873)⇒犬狩騒動(百姓一揆)起こる。
●小学校の創立(明治7・1874)⇒諸吉小(諸吉本村)・武生水小・渡良小
(大平寺)・霞翠小・箱崎小(箱崎本村触庄屋宅)
(明治8・1875)⇒初山小・渡良小大島分校・立石小(観世音寺、
19年布気触に移転、鯨伏小の前身)・石田小・武生
水を盈科小と改称・長峰小(玉泉寺、沼津小の前身)
・半城小(祥雲寺、柳小の前身)・勝本小(霞翠小の
分校として発足・聖母神社他)・志原小(円光寺)
(明治9・1876)⇒本宮小(報恩寺、17年、立石小の分校へ)・諸吉小芦
辺分校、同八幡分校・黒崎小(高源院)・箱崎
小瀬戸分校・石田小筒城分教場
(明治11・1878)⇒箱崎小新城分校(後、独立)
(明治12・1879)⇒半城小を柳田小と改称
(明治15・1882)⇒黒崎小廃止
(明治16・1883)⇒深江小
(明治17・1684)⇒諸吉小、深江小を合併し田河小と改称
(明治19・1886)⇒中尾ちゅうのを小(那賀小の前身)・瀬戸小独立・
初山小、志原小合併(明治23に合併小解散)
(明治23・1890)⇒長峰小を廃し沼津小
(明治25・1892)⇒芦辺小独立
(明治26・1893)⇒中尾小を那賀小と改称
(大正4・1915)⇒渡良小原島分校
(大正7・1918)⇒渡良小長島分校
●壱岐石田郡役所(明治11・1922)⇒郡役所が武生水村に置かれる。
●壱岐中⇒壱岐高(明治42・1909)⇒県立中学猷興館壱岐分校(3年まで定員150名)
(明治45・1912)⇒県立壱岐中学校独立開校(5年制 定員250名)
(昭和23・1948)⇒4月・壱岐第一高校→11月・壱岐高校
(普通科 1学年 4学級)
●12ケ村の設定(明治22・1889/4/1)⇒市町村制施行により、壱岐・石田の2
郡、12村となる。武生水・渡良・柳田・
沼津・志原・初山・鯨伏・香椎・箱崎・
那賀・田河・石田
●日清戦争(明治27、28・1894〜95)
●壱岐郡へ(明治29・1896/4/1)⇒壱岐、石田2郡を併せて壱岐郡とする。
●日露戦争(明治37、38・1904〜05)
大正時代(明治45年7月30日、明治天皇崩御・大正と改元・1912〜)
●第1次世界大戦(大正3〜7・1914〜18)
●電灯が点く(大正4・1915)・壱岐電灯株式会社(社長 松永安左エ門)
●「壱岐郷土史」(大正6・1917)・後藤正足著
●壱岐高女⇒壱岐高(大正9・1920)⇒郡立壱岐高等女学校
(大正11・1922)⇒県立壱岐高等女学校(4年制 定員200名)
(昭和23・1948)⇒壱岐第二高校→壱岐高校
●電話開通(大正11・1922)⇒郡外電話(昭和4・1929)
●パーカスト女史来島(大正13・1924)⇒ダルトンプラン創始者
ヘレン・パーカスト女史
(アメリカ)
●壱岐に要塞地帯令布告(大正13・1924)
●ラジオ放送開始(大正14・1925)
●武生水町制施行(大正14・1925/4/1)
●壱岐支庁(大正15・1926/7/1)⇒壱岐郡役所を廃止して壱岐支庁を置く。
昭和時代(大正15年12月25日、大正天皇崩御・昭和と改元。1926〜)
◆3年1928年
●黒崎砲台着工⇒竣工(昭和8・1933)
◆6・1931
●日華事変⇒柳条溝で日華兵衝突(満州事変)
◆7・1932
●上海事変⇒同年、満州国建国宣言 5・15事件
大日本国防婦人会
●原の辻遺跡発見
◆8・1933
●日本国際連盟脱退
●「郷土研究所」開設・山口麻太郎(8月1日)
◆9・1934
●曾良の句碑完成⇒勝本城山公園・勝本北斗句会建立・川上仲一彫刻
◆10・1935/4/1
●勝本町制施行⇒香椎村が勝本町となる。同年、香椎村立新城小学校廃校
◆11・1936
●2・26事件
◆12・1937
●日華事変⇒ ろ溝橋事件 日中戦争へ発展
◆15・1940
●第二次世界大戦
◆16・1941
●国民学校令公布⇒小学校は国民学校と改称
●太平洋戦争(12・8)
◆19・1944
●壱岐上空で空中戦(8・20)⇒アメリカ軍B29爆撃機1機初山山中に墜落
◆20・1945
●広島に原爆投下(8・6)
●長崎に原爆投下(8・9)
●日本無条件降伏(8・15)
◆22・1947
●新学制スタート⇒国民学校は小学校へ・12ケ町村に各町村立中学校
設立
●田河町(47・11・3)⇒田河村が田河町となる。
◆30・1955
●町村合併 郷ノ浦町←(2・11)武生水町・渡良村・柳田村
・沼津村・志原村・初山村
勝本町←(2・11)勝本町・鯨伏村
芦辺町←(4・1)田河町・那賀村
←(昭和31・1956/9/30)箱崎村
◆33・1958
●石田村への編入←(昭33・4・1)郷ノ浦町久喜触
←(昭和36・4・1)芦辺町湯岳射手吉・興触の一部
◆38・1963
●公立壱岐老人ホーム設置 ←勝本町養老院設置(27・1952)
◆40・1965
●壱岐郡農協⇒郡内12農協が合併
◆41・1966
●壱岐空港供用開始
◆43・1968
●国定公園指定(7・22)⇒「壱岐対馬国定公園」
◆44・1969
●国民宿舎「壱岐島荘」竣工(勝本町立石西触・09204‐3‐0124)
◆45・1970
●石田町制施行
◆46・1971
●公立壱岐養護老人ホーム開設
◆49・1974
●国道382号線指定⇒ 19.142q
(石田町・印通寺〜郷の浦町・八畑〜勝本浦)
◆51・1976
●壱岐郡森林組合設立
●梅ノ木ダム⇒70万t
◆54・1979
●当田ダム⇒44万t
◆56・1981
●勝本ダム⇒110万t
◆57・1982
●「壱岐国史」発刊・山口麻太郎著
◆58・1983
●新壱岐発電所竣工⇒芦辺町青島
◆60・1985
●壱岐ゴルフ場竣工⇒9ホール
●永田ダム⇒22万t
平成時代(昭和64年1月7日、天皇崩御により、1月8日、昭和を平成と改元)
◆1年・1989年
●フェリー「ニューつしま」就航(10・24)⇒1800t
◆3・1991
●高速船就航(4・14)⇒九州郵船高速船「ヴィーナス」(45ノット)
博多〜壱岐〜対馬就航
◆5・1993
●「ピア21」落成(11・10)⇒芦辺町箱崎中山に大型ショッピングセン
ター出現(ダイエー入店)
●郷の浦港新ターミナルビル(11.9)
◆6・1994
●フェリー「ちくし」就航(4・1)⇒1931t 974人 普通車換算69台
●郷の浦大橋開通(8・1)⇒長さ179m 幅員13m
◆7・1995
●「壱岐原の辻展示場」完成(4・21)
●老人保健施設開設 「光風」竣工(9・25)郷ノ浦町東触
「壱岐」竣工(11・15)勝本町湯ノ本
◆8・1996
●「壱岐文化ホール」・「壱岐郷土館」(2・11)⇒文化ホール竣工
・郷土館新設開館
●芦辺町「つばさ」落成⇒社会福祉施設(箱崎中山触・09204‐5‐4500)
芦辺町クオリティーライフセンター「つばさ」
◆9・1997
●「壱岐出会いの村」(4・1)⇒(郷ノ浦町新田触・猿岩の近く・09204‐6‐0789)
コミュニティルーム・和室・各種体験設備・コテージ
・ふれあい広場・キャンプ場・シーカヤック・釣り筏
●勝本町「サン・ドーム」(12・25落成式・勝本町湯ノ本浦・09204‐3‐0170)
総合レジャー温泉施設(温水プール・サウナ・露天風呂・
ジャグジー・屋内テニス・トレーニング室)
◆10・1998
●郷ノ浦トンネル(11・26開通式)
◆11・1999
●珊瑚(さんご)大橋⇒大島〜長島間架橋(3.18開通式)・橋長294m幅員7m
●勝本町「かざはや」⇒社会福祉施設(3.1開所式・大久保触・09204‐8‐3200)
勝本町ふれあいセンター「かざはや」
●「マリンパル壱岐」⇒体験型アミューズメント施設(4.1開所・石田町印通寺)
◆12・2000
●男女岳(めおとだけ)ダム⇒13万t(芦辺町)高さ20.3m、長さ72.0m
重力式コンクリートダム(水道用水、洪水調節、
流水の正常な機能の維持及び増進・11月9日完成式)
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