国指定特別史蹟
原の辻遺跡
1
(はるのつじ)
特別史跡に
2000.12.22
平成12年11月24日、原の辻遺跡を新たに国特別史跡に指定し
たことが文部省告示第173号として官報で示されました。
原の辻遺跡は、平成9年(1997)9月に国史跡に指定されてい
ましたが、今回の答申により一段階ランクが上がることになります。
国特別史跡は、史跡のうちでも学術的に価値が特に高く、わが国文
化の象徴になるものが指定されており、原の辻が国特別史跡に指定さ
れたことは、今後の保存・整備や遺跡を活用した地域の活性化に更に
弾みをつけるものと思われます。
全国の特別史跡は全部で58件。今回、特別史跡に指定されたの
は、原の辻遺跡と青森市・三内丸山遺跡と奈良県明日香村・キトラ古
墳の三件。これにより、全部で61件となります。
そのうち、弥生時代の遺跡については、静岡県の登呂遺跡、佐賀県
吉野ヶ里遺跡に続き、今回が3件目となります。
また、長崎県内の国特別史跡は、対馬美津島町の「金田城跡」のみ
で、原の辻遺跡が2件目となります。
指定される面積は、同遺跡の約100ヘクタールのうち約16.2
ヘクタール(芦辺町約12.5ヘクタール、石田町約3.7ヘクター
ル)で、国史跡に指定された部分と同じです。
文化財保護審議会は、特別史跡へと答申した理由を「『魏志倭人
伝』に記載されたクニの中で、クニの中心が初めて明らかになった遺
跡で、弥生時代のクニの構造を解明できる稀有の事例として学術的に
価値は極めて高く重要」と
しています。
今後は、壱岐の、長崎県のというレベルを越えて、国の重要な史跡
・文化財として保存・整備されることを期待しているところです。
しかし、指定区域の16.2ヘクタールは遺跡全体の約100ヘク
タールの約6分の1弱の広さですが、その公有化は、今のところ、
40%程度ということで、なお、発掘が済んだのは5.5ヘクタール
のみということです。
これまで、原の辻遺跡を訪ねて来られた方の中には、その出土品や
遺構の質の高さに比べて、復元が進んでいないことに失望の色を見せ
られた人も居られたようです。
原の辻遺跡と並んで、現在、発掘の進められている三内丸山遺跡
は、着々と復元されており、発掘されたままの状態や作業の様子を見
学できるような様々な工夫がされています。
原の辻遺跡も、国特別史跡に指定されたことを契機に様々な困難を
克服して、更に保存・整備が進んでいくことを願っています。
原の辻遺跡展示館
原の辻遺跡の展示館です。一番遠い郷ノ浦港からでも、車で20分と
はかかりません。芦辺港や印通寺港からは、10分以内で来れます。午
前9時から午後
5
時まで開館されています。年末年始だけが、休館日で
す。入場料は必要ありません。
長崎県壱岐郡芦辺町深江鶴亀触1092
п@09204−5−4080
原の辻遺跡の特質
(原の辻遺跡保存等協議会のパンフレットより)
日本唯一「特定」された一支国の王都
原の辻遺跡は、100haの遺跡範囲・
多重環濠
をもち
、
船着場
や
床
引材
等の高度な技術、祭祀を執り行う首長がいたことを意味する
祭儀場
の存在、そして「魏志倭人伝」の内容から、この遺跡が
一支国の王都
で
あると特定されました。
「魏志倭人伝」には様様な国名が記述され、また現在もいろいろな遺
跡が発掘されていますが、国の王都まで特定するのは難しいといわれて
います。
そういう意味で、王都が特定できたこの遺跡は、弥生時代の国や王
都、さらに規模や構造を解明てきる稀有の遺跡であるといえます。
2.
「地の利」を生かした交流・交易
この遺跡は、大陸や九州本土から運ばれたものが多く出土しています。
朝鮮系無文土器
や
楽浪系土器
の出土からは朝鮮半島との交流を示し、
貨銭
などや
トンボ玉
や
三翼鏃
の出土からは中国との交流のあったことが
わかります。
また、
国産青銅器や石器
などは、九州、また瀬戸内や山陰地方からの
搬入土器もみられます。
これらのことから、広い地域から人や物が集まっており、活発な交流
があったと考えられます。
また、水稲技術や土木技術等が九州に伝わる際のルート上に、この遺
跡が存在しており、進んだ技術をいち早く汲収していたといえます。
3.
検証できる『魏志倭人伝』の記述
『魏志倭人伝』は、弥生時代当時のことを知る上で欠かすことの出来
ない文献資料です。この資料を検証するうえで、現在の調査だけでも多
種多様な遺構や遺物が検出され、また今後の調査により更なる成果が期
待できるこの遺跡は、最高の研究材料となりうる可能性を秘めていま
す。なお、この調査成果は、当時の東アジアの国々の様子を知る手がか
りとして、重要な意味を持っています。
4.
残された弥生時代の「原風景」
(原の辻遺跡保存等協議会のパンフより)
遺跡周辺には水田や畑が広がり、視野を遮るものが少なく、平野を囲
む丘陵の豊かな樹林や遠景の岳の辻を眺めることができます。これらの
環境は、一支国が繁栄したころの弥生の原風景を感じることができ、貴
重な風景であるといえます。
原の辻遺跡保存整備基本計画
原の辻遺跡保存等協議会
(
壱岐4町
が主体)より整備基本計画が発表
されました。
1.一支国遺跡博物館
発掘調査に基づいて復元ゾーンわ設定すると
ともに、時代背景や自然環境などを折りこみ
ながら体系的でわかりやすい整備を行ってい
きます。
2.変化する遺跡
発掘が進む調査や遺構が復元される様子が確
認でき、いつ訪れても新しく発見したり、当
時の状況に近づく様子が目に見えるような場
所にします。
3.体験学習場
自然と共生していた弥生人の生活を学び、現
代と見比べられるように工夫し、体験を通じ
て当時の社会や世界観を学べる場を提供でき
るよう整備します。
4.研究拠点
発掘調査を通じて弥生時代をを中心とした国
際的及び学術的研究の拠点になるよう整備し、
また研究成果を世界に向けて発信していきま
す。
5.現代の一支国
壱岐のシンボルとして、壱岐島民や壱岐出身
者にとって心のよりどころとして整備し、憩
いの場・くつろぎの場として活用できるよう
にします。
6.弥生の風景
弥生時代の原風景が最も残っているこの景観
の保全に努めるとともに、遺跡を外から眺め
るための眺望点を整備します。
7.振興拠点
原の辻遺跡は、島内の他の遺跡との関連性が
強いと考えられるため、島内遺跡ゃ関連施設
等を総合的に連携させる整備を行っていきま
す。この整備は、地域活性化・地域振興の核
として位置づけます。
原の辻遺跡
原の辻遺跡2
原の辻遺跡新情報1
シンボルマーク等決定
原の辻遺跡新情報2