山口麻太郎翁の著書の引用・転載については、翁の孫・山口浩太郎
(郷ノ浦町里触・郷ノ浦町職員)の許諾を得ました。2000.4.13


  山口麻太郎翁・「壱岐国史」

      

 昭和19年、太平洋戦争が熾烈となり、学徒動員が始まりました。
 壱岐中・壱岐高女の3年以上は、大村・川棚の軍需工場へ派遣され
ました。

 大部分の先生が引率して行かれ、残った1・2年生も、大島・名烏
島・当田浜(初山)・岳の辻・筒城浜の軍事施設建設用のバラス運搬
等の奉仕作業が始まり、隔日程度の授業になりました。

 中学1年だった私達は「
東洋史(中学は東洋史・西洋史・国史の
順で学習)を習っていましたが、担当の先生が出征され、代わりに

口麻太郎翁
臨時の講師として来られました。授業内容は中国の古代
史で、難しい漢字が出てきて、閉口したことを覚えています。
 色白の、仏様のようなふっくらした頬で、やさしく生徒に語りかけ
ながら授業を進められました.
 先生は、ノートにびっしり調べたものを書いてこられ、
誠実温容・
学究心旺盛な面
を如実に示しておられました。
 
 このような臨時で授業をされた方が、も一人,居られました。石田
中尾隆徳先生で物理を習いました。先生の時代では、大学進学は珍
しいという事を聞きました.
 小学の理科は計算はありませんが、中学では出てきます。先生は数
学が物理学の基盤になっていることを強調され、数学の学習を督励さ
れました。
 先生は山口翁と対照的でした。白髪痩躯でご老体でしたが、古武士
然とした飄々枯淡な感じの方で、授業を離れての雑談の中にも魅力的
なものがあり、みんな、よく、耳を傾けていました。
 時には、授業の息抜きに私達の竹刀を取り上げ、「近頃の竹刀は軽
い」と言って素振りをし、中学1年生を驚かされました。
 
 50数年が立ちますが、お二人の授業風景は脳裏から消えません。
 謹んで、御冥福をお祈りいたします。

 昭和57年、翁の研究の集大成といわれている
壱岐国史が、壱岐郡
町村会
によって発行されました。 


 今,HPを作っていますが、自分の不勉強を恥じつつ、
壱岐国史
常に座右において参考にしています。

壱岐国史」  序  文1
「           序
  山口麻太郎先生の大著『
壱岐国史』成る。九十翁山口氏のために
盃を挙げてその成功を祝するとともに、日本の学界が此の大著を得
て、日本歴史に欠けていた所を補い得たことを、日本史家の一員とし
て喜悦する次第である。
 山口氏は壱岐に生まれ、壱岐が生んだ近代の偉人
松永安左ェ門
遺志
を継いで、郷土壱岐の歴史を研究することここに数十年、その著
わすところの論考数十百篇、悉く氏の郷土愛と学問的な研究心より発
した珠玉の名篇であって、そのうちの幾篇かは拝読させてもらった
が、郷土史家の作品としてはいずれも出色のものであって、中央史家
として名ある歴史家の論著に比して聊かも遜色がない。山口氏は、

俗学者
としてその名、中央に聞こえた学者であるが、氏の学は民俗学
に止まらない。氏の学はひろく
日本史朝鮮史中国史に及び、史学
の補助学科である
古文書学考古学等にも造詣するところ深く、正に
本格的な学者である。したがって山口氏は、壱岐の郷土史家には相違
ないが、何処にでも居るジレッタントの郷土史家とは、その選を異に
している.
 予言者郷土に容れられずという諺があるが、私は壱岐の国の人々は
果たして能く山口氏の真価を知っていて下さるのかどうかを疑う。当
の山口氏は極めて謙虚で、名聞を求める念慮の微塵もない人であるか
ら、俚人にはその偉大さが知られないかもしれないが、私は松永氏と
比肩してたいして遜色のない人傑であると思っている。
 壱岐の人々は、この松永・山口の両翁があって、他の国々に勝った
郷土史『
壱岐国史』を持つことが出来たことを喜びとしなければなら
ないと思う。
 氏が若き日に心血を注がれた数十百篇の論著は、『壱岐国史』に綜
合せられて、夫々その所を得ている。『新編武蔵国風土記』『新編相
模国風土記』は、江戸時代の編纂であるが、奈良時代に編纂せられた
風土記と相並んで、歴史家の間に尊重せられている。『
壱岐国史』は
昭和の編著であるが、長く数百年の後までも、壱岐の国の事を知る原
典の一つとして珍重せられることであろう。
 どんな地方の歴史といえども、それが日本の国の一部であれば、縄
文時代から現代に至るまでの数千年の歴史である。地方史即ち郷土史
のむずかしさは其処にあるのであって、大学で室町時代史を講義する
ようなわけには参らない。その上に郷土史にあっては、その地方地方
の宗教史(主として
神祇史・仏教史、陰陽道史)、法制史、経済史、
芸能史
等を分かつことは出来ない。記述はその都てに亘るから、郷土
史家の学問の範囲は、広くならざるを得ない。その上に壱岐・対馬は、
朝鮮半島と九州本土との中間に基布する島々であるから、朝鮮及び中
国との関係が密接である。本書第三篇には、「
元寇と壱岐」と「倭寇
と壱岐
」との二章があり、本書第四篇には、「朝鮮信使の往来」の一
章があるが、これらの諸章を書き下す為めには、『
元史』『新元史
李朝実録』等の膨大な外国資料を渉猟せざるを得ない。山口氏はこ
れらの困難を克服して、前人未踏の渉外史をものしておられるのであ
って、その努力と精力とには、全く頭が下がる。壱岐・対馬は、平安
時代に度々新羅の海賊の被害を受けた関係で、式内社が多い。
 私は会々式内社研究会の会長となり、三菱財団の援助を得て、全国
二千八百八十一社の式内社の実態調査を行ったが、壱岐の国の式内社
二十四座調査は、これを山口氏に一任した。山口氏は拮据事に当たり、
完璧に近い報告書をお送り下さったが、この壱岐郡十二座、石田郡十
二座の式内社の記事は、本書第二編に収められている。
 中世壱岐に興った吉永氏、波多氏、志佐史、壱岐に勢力を及ぼした
九州の松浦党、少弐氏等の豪族のことは、本書による外、これを知る
ことの出来ない
ものであって、私は法制史が専攻であるから、本書第
四編近世の第十章平戸藩の壱岐民政以下第三十一章平戸藩の財政事情
に最も興味をもつ。その他、壱岐の国に遺っている亀トの事や牛の事
には、私も興味があって、昭和四十五年十一月壱岐に旅した時、山口
氏の案内で、石田郡にある雪宅満(ユキノヤカマロ)の墓を弔った。
雪宅満は、天平八年七月、遣新羅使阿部朝臣継麻呂の船に占部として
乗り組んで新羅に赴く途中、病に罹って病死し、この地に葬られた者
である。万葉集、第十五には、宅満の死を悼んだ六人部連鯖麻呂の挽
歌が掲げられている。この宅満の墓の事も、本書第二編第一章第二節
に詳述されている。
 山口氏は九十の高齢を以てこの不朽の大著を完成し、本意を遂げら
れた。私は律令を研鑚することここに年ありと云えども、まだそのラ
イフ・ワークを完成するに至らない。しかし、私は当年八十四歳、山
口氏の年齢まで未だ六年ある。その間には何とかしてこれを完成した
いと思っている。私、本書の著者山口氏とともに、第二、第三、第四
と次々に新しい研究者が現れて、山口氏が仕残された『
壱岐国史』の
附帯事業を完成せられんことを希求して、ここに筆を擱く。

 昭和五十六年一月三日

國學院大學名誉教授 法学博士 瀧川政次郎識す 」 

壱岐国史    序  文2

 
このたび山口麻太郎先生ご執筆の『壱岐国史』の上梓を心からお慶
び申し上げます。
 壱岐の郷土史は、これまでに何冊か発行されていますが、数も少な
く、現在は全く手に入らぬというのが実状であります。したがいまし
て、郡内はもちろん郡外においても、新しい郷土史の発刊を切望する
声が高うございました。それも出来うれば山口先生の筆になる書とい
われておりました。

 御承知のように、山口先生には今までに実に多くの研究書を発行さ
れておられますが、通史だけがございませんでした。なぜないのだろ
うかと思っておりましたところ、それを著述するためには、一人の研
究者の幾重にも重なった年輪が必要だったのだということを教えられ
ました。正確な壱岐の歴史を知ろう、学ぼうとする者にとって、山口
先生の手になる通史はまこと渇望の書であった訳でございます。それ
がここに実現の運びとなりましたことは、喜ばしくまた時宜にかなっ
た出版と申せましょう。
 山口先生は本年九十一歳になられます。老いてなお矍鑠としておら
れます。日本民俗学会名誉会員として日々ご研究を続けておられます
が、この『
壱岐国史』は先生のライフワークとして取り組まれたとい
うお話をうかがっております。それだけにその意気込みを本書の文章
の端々に感じるのは、私一人ではないはずです。改めてご労苦をおね
ぎらい申し上げたいと思います。
 壱岐国史』は、壱岐にとりましては本格的な郷土史であります。
今後の壱岐の歴史研究に欠くことの出来ぬ史書であります。同時に九
州のいや日本歴史の研究に寄与することも大であると思います。

   昭和五十七年五月

         
 郷ノ浦町長    徳 田 久 武
          勝 本町長    原 田  薫
          芦 辺町長    山 口 定 徳
          石 田町長    立 石  武
     
 」

「 壱 岐 国 史
  昭和五十七年八月一日発行
  著者  山 口 麻太郎
  発行  長崎県壱岐郡町村会
  印刷  第一法規出版株式会社 」



       
      山口麻太郎翁(トップ)      

    
 
「郷土人」の民俗学     山口麻太郎略歴       

     
目良亀久略歴       山口麻太郎年譜