葛 の 花
                      横山 順


      
    「葛の花」の歌 1

        
島 山

 
 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし、この山道を行きし人あり

  谷々に、家居ちりぼひ ひそけさよ。山の木の間に息づく。われは

  山岸に、昼を 地(ヂ)虫の鳴き満ちて、このしづけさに 身はつかれたり

  山の際(マ)の空ひた曇る さびしさよ。四方の木(コ)むらは 音たえにけり

  この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ

  わがあとに 歩みゆるべずつゞき来る子にもの言へば 恥ぢてこたえず

  ひとりある心ゆるびに、島山のさやけきに向きて、息つきにけり

  ゆき行きて、ひそけさあまる山路かな。ひとりごゝろは もの言ひにけり

  もの言はぬ日かさなれり。稀に言ふことばつたなく 足らふ心

  いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹のはさみを もぎはなちたり

  沢の道に、こゝだ逃げ散る蟹のむれ 踏みつぶしつゝ、心むなしもよ

  いまだ わが ものに寂しむさがやまず。沖の小島にひとり遊びて

  蜑の家 隣りすくなみあひむつみ、湯をたてにけり。荒(アラ)磯のうへに

  ゆくりなく訪ひしわれゆゑ、山の家の雛の親鳥は、くびられにけむ

  鶏の子の ひろき屋庭に出でゐるが、夕焼けどきを過ぎて さびしも


         
 蜑 の 村

  網曳(アビ)きする村を見おろす坂のうえ にぎはしくして、さびしくありけり

  磯村へますぐにさがる 山みちに、心ひもじく 波の色を見つ

  そこやかに網曳きはたらく蜑の子に、言はむことばもなきが、さぶしさ

  蜑をのこ あびき張る脚すね長に、あかき褌(ヘコ)高く、ゆひ固めたり

  あわびとる蜑のをとこの赤きへこ、目にしむ色か。浪がくれつゝ

  蜑の子のかづき苦しみ 吐ける息を、旅にし聞けば、かそけくありけり

  行きづりの旅と、われ思ふ。蜑びとの素肌のにほひ まさびしくあり

  赤ふどしのまあたらしさよ。わかければ、この蜑の子も、ものを思へり

  蜑の子や あかきそびら盛り肉(ジシ)の、もり膨れつゝ、舟漕ぎにけり

  あちきなく 旅やつゞけむ。蜑が子の心生きつつはたらく 見れば

  蜑をのこのふるまひみれば さびしさよ。脛(ハギ)長々と 砂のうへに居り

  船べりに浮きて息づく 蜑が子の青き瞳は、われを身にけり

  蜑の子のむれにまじりて経なむと思ふ はかなごゝろを 叱り居にけり

 
右の「島山」十四首と「蜑の村」十三首は、大正十四年五月、改造社よ
り刊行された「海山のあひだ」(全集第二一巻十二ページ)におさめられ
ている。折口信夫三十八歳。処女歌集であった。
 島山、蜑の村と題された連作がつくられたのは大正十三年、「歌のもと
の形のできたのは大正十年、壱岐の島での庫とでった」(『自歌自註』全
集第二六巻二三二ページ)と折口はいっている。

  
葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。この山道を行きし人あり

 
島山の冒頭をかざるこの「葛の花」は、有名というには、あまりにも有
名な歌として世に知られている。
 「葛の花」については、折口は『自歌自註』で次のように註解している。

   
壱岐は島でありながら、伝説の上では神代の一国である。それだけに
  海としても個性があり、山としても自ら山として整うた景色が見られた。
  蜑の村に対して、これは(島山)陸地・耕地・丘陵の側を眺めたものが
  集まってゐる。
   山道を歩いてゐると、勿論人には行き逢わない。併し、さういう道に、
  短い藤の紫の、新しい感覚、ついさっき、此山道を通って行った人があ
  るのだ、とさういふ考えが心に来た。もとより此歌は、葛の花が踏みし
  だかれてゐたことを原因として、山道を行った人を推理してゐる訳では
  ない。人間の思考は、自ら因果関係を推測するやうな表現をとる場合も
  多いが、それは多くの場合のやうに、推理的に取り扱ふべきものではな
  い。これは、紫の葛の花が道に踏まれて、色を土や岩などににじまして
  ゐる処を歌ったので、今も自信を失ってゐないし、同情者も相当にある
  やうだが、この色あたらしの判然たる切れ目が、今言った論理的な感覚
  を起し易いのである。

       
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「葛の花」の歌2      ●「葛の花」の歌3

     ●
「葛の花」の歌4      ●「葛の花」の歌5