葛 の 花
          
横山 順


        
葛の花」の歌 5

 「葛の花」の歌が、壱岐のどこで作られたのかが、よく話題になる。山
口麻太郎氏が山本健吉氏への反論の終りに、「初山村に採訪して得られた
歌」とあるのは、すでに挙げたが、山口氏の「折口信夫博士と壱岐島」に
もほぼ同じ感想が述べられている。

 
  (前略)誰からという明確な記憶はないのであるが、初山村の採訪
  に得られたものだと聞いたような感じが、私の心の一隅に残っている。
  初山街道の葛といえば、私は公立病院の向こうの、元武生水町の片原
  触の坂道を頭に描いたことも忘れていない。
   初山道の葛の花は初瀬浦の附近にもあるが、朝早く張り切った気持
  で採訪に出て行かれる、朝の清新な疲れのない感覚がにじみ出ている
  ように私には思われる。今行って見ても樹木は大分伐られているけれ
  ども葛があり、それが上り坂で前景が閉ざされているから、心は自ら
  足元にそそがれ、小さな葛の花の踏みにじられたさまも、いやでも目
  にはいってあんな感じが高らかに出て来るような気がする。
   漁夫の歌も多いが、あれは渡良村の小崎の蜑の部落での作ではない
  かと思う。赤褌は農村では子供がしたが、小崎の蜑は大人でも若い
  者はしめていた。博士は小崎にはよく行かれたと聞いていた。それに
  しても「蜑の子の…・」の一首だけをどうして除外された(『改造』
  に発表し、歌集『海山のあひだ』から)のであろうか。(「蜑の子の」
  は、「蜑の子のつひにまじらむ時はあらじ。若きはたちはむなしくあ
  りけり」)

 山口氏が、初山村云々の記憶を持たれるのは、折口を案内して、島内を
回った一人で、当時畜産技術師の滝川敏氏のためであろうと、筆者に語ら
れたことがある。主に壱岐の案内をしたのは、郡役所の書記で、『壱岐郷
土史』『壱岐神社誌』を著した後藤正足氏であった。このことは、山口氏
も「折口信夫博士と壱岐島」で書かれており、また折口も後藤・滝川両氏
の話を、全集十五巻「壱岐民間伝承採訪記」の「おたっちょ」の項四四九
ページに書いている。
 滝川氏は、初山方面の案内をしたために、山口氏はよく滝川氏から採訪
の様子を聞かされていたので、それで初山村で作歌したという印象を持っ
ている、と話された。
 今一つに、沼津の山道で作歌したという説がある。

  
ゆくりなく訪ひしわれゆゑ、山の家の雛の親鳥は、くびられにけん
  鶏の子の ひろき屋庭に出でゐるが、夕焼けどきを過ぎて さびしも

「ゆくりなく」は、もともと独立した一首であったが、『海山のあひだ』
では、「鶏の子の」詞書(ことばがき=和歌のまえがき)になっている。
この二首は、折口が沼津の松島家を訪問した際に作歌したものだからだ、
ということからである。つまり折口は、教え子の松島真氏を訪ねる。折口
を歓待するために、松島家では「雛の親鳥」の「くび」をしめたというの
である。
 こうしたいきさつから、沼津の山道、御津の辻が浮かんでくるというも
のである。
 筆者には、初山、沼津二つの説のどちらが正しいとはいえない。双方頷
けるものは持っている。けれども確たる資料はない。折口の『自歌自註』
には「歌のもとの形の出来たのは大正十年、壱岐の島」とある。この壱岐
の島を、歌碑の立つ、岳の辻の山道に代表してもらうのがよいと思ってい
る。
 あとは、それぞれの胸の中に、葛の似合う山道を描けば、紫紅色の花
は、そこによく映るはずである。それは作者折口信夫が描いたと同じ壱岐
の山道のはずである。

追記
 折口信夫が大正十三年に来島したことについては、同年九月七日付の『
壱岐日報』で確認することができた。同紙によれば伝承家の泰斗 折口
信夫氏来る≠フ見出しで、「去る三日(九月)再び来岐、各村を踏査され
つつあり。本郡滞在は十日頃までの予定」とある。
 本文二十一頁七、八行目の「目良氏の談話によると、熊本利平氏の後援
で再び来島された、と新聞に書いたら、折口は『自費できました』と語っ
たという」の文中にある「新聞」は同紙であった。また同年九月十日、十
五日付の『壱岐日報』には、折口の談話をまとめた。興味津々たる民間
伝承=i構成は目良亀久氏)が掲載されている。この資料は県立長崎図書
館の「山口文庫」にあった。
 筆者にこれを教示されたのは、目良亀久氏で、氏は昭和五十二年度の
県民表彰=i教育文化功労)を受けられるため、十一月二十三日の長崎市
での表彰式に出向かれた際、わざわざ「山口文庫」へ足を運ばれて調べて
下さったものである。
 末尾ながら、目良氏のご協力に対し、心から謝意を表する次第である。



     
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