葛 の 花
                  横 山  順


          
葛の花」の歌 4

 壱岐には葛≠ェ多い。実際多すぎて、誰もが困っている、というのが
実状である。「セイタカアワダチソウ」の比ではない。今年もよく、壱岐
の山野に繁茂している。もしこの葛の稠茂を喜ぶものがいるとすれば、牛
で、牛は葛の葉が好きだ。昔は、このかずらで土や石を運ぶ、軽籠(かる
こ)を作った。『牧野新日本植物図鑑』に葛の名の由来を見ると、

  
 クズはクズカズラの省略であるという。一説にはクズは大和の国栖
  (クズ)であり、昔国栖の人が葛粉を作って売りにきたので、自然に
   クズというようになつたといわれている。

とある。葛の簡略な説明は『広辞苑』にみておく。

  
 くず〔葛〕@マメ科の大形蔓性草本。山野に多く、蔓の長さは10
  メ−トル以上にもなる。葉は三小葉から成る複葉で大きく、長柄互
  生、裏面は白っぽい。秋、葉腋に花穂をつけ、紫紅色の蝶形花を総状
  に咲かせ、花後、ひらたい莢を結ぶ。根は肥大し、乾して葛根を作り
  解熱薬とし、また、葛粉を採る。葛の繊維をとって葛布を織り、また
  蔓で藤行李などを作る。秋の七草の一つ。万葉集十四「箱根の山に延
  ふーの」
(後略)

 この葛の開花日は、大石次三郎『日本植物誌』には七月から九月。『牧
野新日本植物図鑑』には漠然と秋。では壱岐それに奥熊野はいつか。
 日本地図で壱岐を見ると、壱岐の上に三十四度の緯度線がある。この線
を右に指でなぞっていき、紀伊半島にある三重県の熊野市をさがすと、3
4度線のすぐ下にあって、壱岐(北端の勝本町若宮島は三十三度五十二
分)と熊野市はほぼ同じ緯度であることがわかる。
 それに、壱岐と山口県大津郡日置村仁位浜と熊野を結ぶ線は、ハマオモ
ト(ハマユウ)の北限を示すこの線は、壱岐と熊野が、気候的に同一条件
の地であることを教えてくれる。そうすると、壱岐で葛の花が咲けば熊野
で咲くということになる。ただ奥熊野は山間部であるから若干の違いはあ
ろう。
 折口信夫が熊野を旅したのは大正元年の八月で、年譜(全集第三一巻三
八九ページ)には次のようにある。

 
  八月、生徒伊勢清志・上道清一を伴ひ、十三日から二十五日まで、
  志摩・熊野を回る。宇治山田・鳥羽・安乗・田曾・引本を経て船津に
  出る途中、山中に入って道に迷ひ、二日間絶食して彷徨、尾鷲・瀞八
  丁・新宮・田辺を通って、御坊の友人田端憲之助を訪ひ、大阪に帰
  る。十一・十二月、この間の短歌百七十余種をまとめ、『安乗帖』

  
(全集二二巻所収三一三ページ)と題した。

 右の年譜にある『安乗帖』は百七十七首だが、この中に出てくる植物
は、萩、木槿、百日紅、水引草、野菊、葉鶏頭、芥子、蔦、青松葉、いち
ょう等で、葛の花はない。翌大正二年の『ひとりして』は、『安乗帖』と
重複する歌集だが、この第四部「海山のあひだ」(全集二二巻三五二ペー
ジ)九十九首の中に、「もとつびと 山に葛ほり 山人と老ゆべき世ぞ 
と、わびしきものを」があるくらいである。とにかくこの二つの歌集は、
熊野の記憶が鮮明に残る頃の作品である筈だ。なのに、葛の花はない。
『海山のあひだ』所収の(全集二二巻一〇五ページ)二十三首のなかに
も、ない。ないのが当然に思える。葛の花は、壱岐も熊野も同じ頃に開花
するといった。折口は熊野に、大正元年八月十三日から二十五日までの十
三日間、壱岐には大正十年の八月二十三日から九月九日か十日までいた。
いったい花の咲く日に折口はいたかどうかだ。葛の花の開花日を記録した
ものはない。今年と去年は筆者が見ていたので、壱岐のは分かる。今年は
八月二十五日、去年は二十三日であった。つまり壱岐では八月下旬の開花
である。そして九月中旬には消える。熊野のひとにも聞いてみなければ分
らないが、ほぼ熊野も同じ頃とみてよいだろう。となると、折口が熊野を
歩いた頃は、葛は、まだ咲いていなかったのではないだろうか。まして、
大台が原の山中である。山本健吉氏は「山中に迷って二日も木樵小屋に泊
まったという。そのときの食料もなく、二日も人に逢わなかった心細さと
人なつかしさを回想したのがこの歌」と推理されているが、その日は、大
正元年の八月十六日と十七日であった。もっとも葛の花の開花日は、大正
元年と今とでは違いもあろう。現在でも年によって違うだろうけれども、
大きくずれることは、まずない。
 自然環境から考えれば、「葛の花」の歌を奥熊野で作ったとする説は、
弱いように思われてならないのである。壱岐ならば、大正十年には、間違
いなく葛の花の盛りに、折口は島内を歩いている。

 
  此歌(「葛の花」の歌)には散文詞をとりこもうと言ふ計画があっ
  のです。其でしだかれてだのといふ、所謂殺風景な感じのある語を入
  れ、色あたらしなど言ふきっぱりし過ぎて感情の流動を堰きとめる嫌
  のある詞なども使ひました。行きし人ありなど言ふぶっきらぼうな投
  出した様な表現も試みたのでした。もう随分昔の作物ですが、当時の
  心持ちを覚えてゐましたので、申し添えました。
(「去七尺状」全集
  第二五巻四六〇ページ)

 これは、昭和十三年十二月号の『短歌研究』に掲載された、旧師に対す
る駁論の節であるが、「葛の花」の歌を考える上で、参考になろうかと思
い、引いたのである。

 
      
         「葛の花」(トップ)

      
「葛の花」歌碑        「葛の花」の歌1

      
「葛の花」の歌2       「葛の花」の歌3

      
「葛の花」の歌5        折口信夫年譜

       
おわりに