葛 の 花
                  横 山  順


         
折口信夫と壱岐 3

 折口信夫は、よく壱岐を歩いている。大正十年と同十三年のどちらも滞
在期間は短いものだ。それでいて、壱岐をテーマにして発表した著作は次
のとおりである。
   壱岐民間伝承採訪記 全集十五巻  地方に居て試みた民族研究
   雪の島       〃  三巻  の方法 全集十五巻
   河童の話      〃  〃
   壱岐の水      〃 十五巻
   海道の砂      〃 二八巻
   恋の消息      〃  〃
 これに加えて、歌集『海山のあひだ』がある。折口信夫も語っている
が、さすがに三十代の弾みがあったわけで、その採訪の一端を著作でみて
みる。
   −もう明日から復、島の家々を探訪して回るはりをなくしてしまっ
  た気になって居た。
   壱岐国郷野浦、夜は早く静まった。町の、乏しい火を見おろす岡の
  上の宿では、虫が鳴き、どこかで間断なく囃す川祭りの太鼓の遠音が
  聞えた。竹の台ランプがめのつぶれた様な畳を照らし、更に庭の芙蓉
  を明り出して居た。……・・
   其でも夜が明けると、暑い照り返しの中へ歩き出した。朝からもう
  若いあまの男と道連れになって、遠い道を下って居た。船魂のさゝや
  く声・水死人を祀ったえびす神の話・百合若説教を語る巫女の物語、
  私の心は送迎に遑ない珍しい民俗を耳にして、くたびれたまゝでは居
  られなかった。さすがにまだ三十代の弾みが失われて居なかったので
  ある。
   さうして一週間過ぎ、十日過ぎ、明日は、逗留半月に及んだ島を出
  る小蒸汽で、唐津の岸、呼子へ渡ることに心をきめて、夜露のおり出
  した道を宿へひき返して居た。
   ふと心を掠めたのは、この道の中途に在る村の物識りのことであ
  る。一度問ひたいと思いながら、尋ねることが出来ないで居た忙しさ
  である。夏の空がすっかり夜空になったのだから、九時にはなるだろ
  う。だが、逢わなければ、此人だけが知った話と謂ったものを、聞き
  落すことになりそうな気が頻りにした。
 折口は、その物識りを訪ねる。道端の休み茶屋で家を聞くと、これから
半道もひっこんでいるという。茶屋の者は大儀だろうから呼んできてやる
という。十時過ぎて、物識りと会う。
   夜も更けた。郷野浦までまだ一里ある。思ひ切って還らうと立ち上
  った私を、手で押へて、も一つ是非お聴きに入れたいことがある。聴
  いてくんれまっしゅか。承りませう。そんなことで又一時間、私が宿
  へついたのは、一時前であった。(後略)〔『恋の消息』全集二八巻
  111ページ〕
 『海道の砂』その三には、小島に渡るときに雇いつけていた船頭の話も
でてくる。とにかく精力的に動き回ったことがうかがえる。こうして採訪
に協力してくれた島人に対する、感謝の言葉もある。
   −道を歩きながら聞いた話と、話し手からは一番尊いものを受け
  た。謙遜しつゝ而も、信じ深く、一里でも二里でも、一つ話を続けて
  くれたあまの村の若者や、町方への道を下る年よりなどの幾人かと、
  肩をならべて歩いた時間を憶ふと、古国(フルクニ)の懐しさ、南の
  大きな島で得られなかった、まったりとした味ひが、心の中に反(ニ
  レガ)まれる。
   二・三十分或は、一・二時間の後、膝の折れ屈みより下に、手と頭と
  をさげて、健康を祝福する「おきばりまっせ」などいふ語を耳に印し
  て脇道に折れ込んで行った人々の、後姿の記憶が、言ひ様ない感傷と
  感謝と、さらに恍惚とに導いて行く。西九州の把握力のある語韻を喜
  ぶ私には、其にしなやかさを添えた此国人の話から、心の底の語を喚
  び活けられる気がする。(『海道の砂』その三全集二八巻84ペー
  ジ)
 ここで、当時の折口の書簡を引用する。壱岐から東京の鈴木金太郎宛に
出したものである。手紙だけに、くったくなく書かれている。
   壱岐もなかなか暑い。宿屋の部屋は涼しいはずなのに、風の這入る
  日が少ないのです。殊に夕凪ぎ、朝凪ぎで宿に居る間は、たまりませ
  ん。
   静かであるべき宿も、たえず客があって、役人や、商売人が隣り部
  屋で、なまりなまり声高に話すのがうるさいことです。宿も朝八時過
  ぎねば御飯は出さず、旅に出ると、癖の夜ざとくなって、二番鶏位か
  ら後はなかなか寝つきません。早く東京に帰って、自由に表へ出た
  り、庭を見てくらしたりしたいものです。九日か十日には、此方を立
  つつもりで居ます。手紙がなかなか来ません。東京からは早くて五日
  かゝる相です。古風な処ですが、不自由さは、那覇以上です。
   なりきん氏からのお金は、郡教育会へ送ったというて、まだつきま
  せんが、いよいよとなれば立てかへさせてよいのですから、心配はい
  りません。この手紙のつく時分には、どんなに遅くとも、金は受け取
  って居ます故、安心して下さい。銀行へまだ届かぬのだ相です。何せ
  よ。銭入れにもうたった七銭しかないのですから、つきまとうて来
  る、案内人(それも人の襟につかうとする気で、御飯も、熊本の金、
  自動車も熊本の金使うてやれと思ふのか、平気で遠慮もせずに金を使
  はせようとする様な、物識り老人)などは、金の来る迄は、ぼろも出
  さぬが、なるべくふり落さねばならぬので困ります。併し何とか切り
  抜けます。もう心配してくださるな。遅ければ、郡からでもとりかへ
  させます。
   二十三日夕方ついてから、二十八日の今夜まで、壱岐の国の賓客の
  様な顔をして居て、こんなありさまですが、其も東京へすぐ帰らなか
  った為、後の苦しみだけは免れたのですから、あきらめて居ます。其
  点だけは、喜んで下さい。月末迄にお金が来たら、十円や十五円位
  は、送られませう。払ひのたしにでもして下さい。つかなかったらつ
  いてからでも送りませう。きっと手紙の方があとになりませう。
   ひるむ(フイルム)も送って貰はうと思ひましたが、とても手紙が
  五六日かゝるもやうでは、小包などは、帰ったあとに来るかも知れん
  と思うてよしました。まこと何なら、博多へでも一日つぶして(晩に
  出れば朝つき、二時程してまた乗れば夕方つく)買ひに行きませう。
   人とあんまり交渉のない限りはよろしいが、風の様な老学者の案内
  はうるさくて為方がありませぬ。来月四日・六日・八日と三日だけ三
  か処で、民間伝承の概念の講演を三時間づゝ位話す事にして置きまし
  た。石ころの山坂や、水芋畑や莢豆畑が、雑木山の間に点々して居る
  ぐあひなどは、汗に曇った目金にも、夏らしい快さを催させます。時
  々、びっくりした様に藪の奥から声をあげる犬の声は、こはがりの私
  を躊躇させます。牛がどこにもかしこにも出て居て、県道以外は、狭
  い道に「ちょいちょい」というても動かずに、ぢっとして居て困りま
  す。水は、こゝも不自由です。沖縄同様、井をかは、川をこおら(琉
  球はかは〔ワ〕ら)。其様に井戸の貴重さは、琉球と一つです。
   話は大分あつまりました。此手紙つくのは、来月の三日か四日でせ
  う。来月の新演芸は、汽車の中の慰みに送って見て下さい。つかずば
  送り返させることにしておきます。こんなしゃもじを軒につった家が
  あちこちにあります。うっかり読みかへさずに封じました。判じて読
  んで下さい。(『書簡』五二全集三一巻164ページ)
 右は大正十年八月二十九日付で封緘はがきを使用してある。軒につるさ
れたしゃもじとは、疫病よけのものと思われる。この年の、壱岐での探訪
を終えた折口は、「唐津の岸、呼子へ渡ることに心をきめて」と『恋の消
息』にあるので、呼子便で帰京したようである。


      
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折口信夫と壱岐5