葛の花』歌碑

        
             
 葛の花
(01.9.4 於芦辺町)

      
                
   
  葛の花踏みしだかれて色あたらし
          
この山道をゆきし人あり

 郷ノ浦の東方2q、壱岐の島一番の高い山(213m)で、島全体や
周囲の海、筑紫の山並みや松浦の島影が眺望できる「岳の辻」に、
折口信夫の歌碑があります。
 折口信夫(1887〜1953)は大正10年(1921)と大正13年(1924)
の2回、壱岐を訪れています。
 この有名な「葛の花」の歌は、奥熊野、或いは壱岐の郷ノ浦町初山で
詠まれたものとされて論争があり、山口翁は初山説を主張されました。
 初山の山々も、眼下に広がっています。
 
 上の歌碑は、日本民俗学会名誉会員だった山口翁が揮毫されたもので
す。                         
(2001.8.14)



 
      扉 の 言 葉
                    山川 鳴風

今は文化財的な存在として、百姓家の物置の片隅に、

その残骸をひそめている箕(み)の把っ手に巻きつけてある葛の蔓、

箕縁(ぶち)に編みこんであるのは葛の皮、

固くて根強いその繊質は、疾うに島の生活のなかに喰いいり、

更に全島の山々に、その白い葉裏を翻す。

秋の壱岐は全島葛の花園である。

歌人として、又民俗学界高峰の人としての、

文博釈ちょう空大人の研究に対する不動の一念は、

葛の葉の強さに通ずるものがあることを信じ、

高くその業績を敬仰する。

※『葛の花』の巻頭には、「歌碑」・「折口信夫の名刺」の写真、次に、目次があり、
その冒頭に『
扉の言葉』があります。
 山川鳴風(本名は胤美)氏(明治36年10月11日生)は、郷ノ浦町木田触出身で、
小学校校長を務められ、退職後は文化活動等を通じて大きな功績を残されました。
 没年、昭和52年11月8日。


            『葛の花』(トップ)

      
折口信夫と壱岐1      折口信夫と壱岐2

      
折口信夫と壱岐3      折口信夫と壱岐4

      
折口信夫と壱岐5      「葛の花」の歌1

     
「葛の花」の歌2       「葛の花」の歌3

     
「葛の花」の歌4       「葛の花」の歌5

      
折口信夫年譜          おわりに