国分〜亀石周辺 1
壱岐の遺跡の分布
地図の国分寺跡は、島のほぼ中央にあります。この周辺から笹塚
鬼の窟の近くには、カジヤ場古墳・兵瀬古墳・山ノ神古墳・釜蓋
古墳・百田古墳群
笹塚古墳の周りには、百合畑古墳群・掛木古墳・布気古墳群など
があり、この付近を散策すると他にも小さい古墳が目に付きます。
弥生時代の中期から後期にかけての遺跡で、原の辻遺跡が河口近くの
一見して、山城の雰囲気を持った頂上付近が中心で、ここに
この遺跡は、大正時代から発掘調査が行われ、出土品としては
司馬遼太郎氏は、〔街道をゆく13 壱岐・対馬の道〕の〔風涛〕の
「ト術」の根拠となる「ト骨(ぼっこつ、シカ・イノシシの肩甲骨)」
勝本町の串山ミルメ浦遺跡からは古墳時代の「
亀ト甲(きぼっこう・壱岐には大陸から伝わった「ト術」を使いこなす「ト術者(ト部・う
よく壱岐に来られた方が、神社仏閣の多いことに驚かれますが、昭和
これも、壱岐の歴史的背景の大きな要素といえます。
へそ石・六地蔵
六面の塔身各面に「舟形光背佛」(船の形をした枠の中)が二体ずつ
刻んであります。文字は一字だけ、裏側に「大」と読み取れます。
「壱州の真中、国分が真中,へそ石真中」といわれていますが、この
「
「国分寺跡」は奥の竹林付近です。左の神社は「市えびす」が祭って
月読神社
郷土史家、占部英幸氏の『島の科学』掲載の内容から要約しますと、
ここの「
そこで、自然に,
神道の構成・内容に、ここの国防の第一線の神社のつぎは、あるお寺の一檀徒の生活(民俗)です。
氏子の代表が総代となり、合議制の総代会が宮司と共に、神社の運営
又,壱岐に定住してきた先祖を持つ家は、ほとんど、どこかのお寺の
位牌堂というと、対馬の万松院を思い出します。この寺は、対馬の大
名の宗氏の菩提寺ですが、ここに徳川歴代将軍の豪華な位牌が祭られて
います。
宗氏が徳川将軍をバックに朝鮮通信使を威圧しようとした意図が読み
取れて面白く思いました。朝鮮通信使は、どんな思いで頭を垂れたので
しょうか。
最近のニュースによると、この朝鮮通信使の行列が復活して、盛大に
親善の輪を広げたり、対馬と韓国間に定期航路もスタートしたというこ
とてすが、一衣帯水の壱岐人としても大変嬉しい事です。
葬式が終わると、ほぼ一ヶ月以内に寺送りの供養が行われます。これ
国分・亀石周辺探訪